小学校入学からこの方、一度ももらったことがないが、KEIRINグランプリ(GP)だけは1985年の開設以来、皆勤賞だ。今年のGPは明日、2018年以来、3年ぶりに富士山を望む静岡競輪場で行われる。

 

 優勝賞金1億330万円。平成最後のGPとなった3年前は脇本雄太の番手から抜け出した三谷竜生が師走のビッグレースを初めて制した。

 

 一発勝負のGPは昔から落車が多い。3年前のレースでも最終周回の3コーナーで村上義弘、平原康多が落車した。平原は壊れた自転車に再乗し、倒れそうになりながらも、ひたむきにゴールに向かった。その背中を「頑張れ!」「もう少しだ」という野太い声が後押しする。思わず目頭を押さえてしまった。

 

 競輪には自転車から降り、担ぎながらゴールに向かえるのは入線の30メートル手前から、という規則がある。レース後、平原は右ヒジ、腰部擦過傷で全治7日の診断を受けるのだが、自転車を引きずるようにしてゴールしたのは単に賞金(552万円)目当てではなく、ハズレ車券を握り締めながら懸命に声援をおくる支持者の姿に心を打たれたからだろう。それが証拠に後に平原は、そのシーンを振り返って、「負けたのに“幸せだな”と思った」と語っている。

 

 20年前にも同じような場面に遭遇した。01年のGPは平塚競輪場で行われた。吐く息が白く濁る、恐ろしく寒い日だった。

 

 年間賞金王に5度も輝いていた神山雄一郎にとって、1年の掉尾を飾るGPは、喉から手が出るほど欲しいタイトル。ところが91年の初出場以来、このタイトルには縁がなかった。

 

「21世紀になれば運気も変わる」。自らに、そう言い聞かせて臨んだ01年のレースも、見せ場をつくることができず、直線で落車の憂き目を見た。暮れなずむバンクで自転車を引きずりながらゴールする神山の心境は、いかばかりだったか。

 

 結局、神山はGPに史上最多の16回も出場しながら、4回(95~98年)の2着が最高。晴れやかな気分で正月を迎えることはできなかった。

 

 それにしても全盛期、“西の吉岡(稔真)、東の神山”と呼ばれたほどの実力者でも一度も勝てないGPには、やはり魔物が棲みついているのか。

 

 押しも押されもしない関東の雄であり、数多くのタイトルを手にしている平原も、なぜかGPには縁がない。「今年こそ」と毎年のように言われながら、今回が30代最後のGP。大晦日の本紙に「悲願初V」の見出しは躍るのか…。

 

<この原稿は21年12月29日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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