幼少期から思春期にかけての複数競技の実施を推奨しているJSPO(日本スポーツ協会)が作成した「発育期のスポーツ活動ガイド」に興味深いデータが紹介されている。2016年リオデジャネイロ五輪において海外の出場選手が6歳までに1.7種目から4.9種目を経験していたのに対し、日本の出場選手は0.3種目から2.9種目に過ぎなかったのだ。

 

 スポーツに限らず日本では、未だに“この道一筋”的な考えが根強い。人には向き不向きがあるのだからAがダメならB、BがダメならCという柔軟な考えがあってもいいはずだ。もちろんAもBも、という考え方もまた尊重されなければならない。

 

 複数競技の実施――それは指導の現場においても重視されるべきだろう。専門外の競技を指導することによる苦労や気付きが、後々、大いに役立ったと語るのが、先頃、V10を花道に勇退を表明した帝京大ラグビー部監督の岩出雅之である。

 

 日体大を卒業した岩出は2年間の滋賀県教育委員会勤務などを経て、県内の中学校に赴任する。野球部を指導することになった岩出に立ちはだかったのが“ノックの壁”だった。

 

「試合前に両チームの監督がノックをするのですが、これが下手くそで、ウチの選手たちは、もうそれを見ただけで負けたような顔をしていましたよ」

 

 高校ではバスケットボール部を指導した。岩出によると「全くのド素人」。しかも進学校だったため、何かと理屈が多い。「でも自分がレベルアップしないことには生徒はついてきてくれない」。さて岩出はどうしたか。「今さら、あれこれ覚えようとしてもダメ。そこで練習は素人でもわかるオフェンスに特化しました。もう好きなところから打っちゃえ。その代わりシュートはしっかり決めよう。皆、のびのび楽しくやろうぜ、と。これにより選手たちのモチベーションが高くなり、その結果、シード校にも勝利しました」

 

 その後、岩出は八幡工に異動し、ラグビー部監督に就任。同校を7年連続花園出場に導き、ラグビー指導者として名を成すのだが、本職である楕円のボールにたどりつくまでに10年の歳月を要したのである。傍からは壮大な回り道のように見えるが、岩出は「あの10年が僕の指導者としての財産」と言い切る。「野球もバスケも素人だからこそ謙虚でいられた。上達しない選手たちの身になって考えることができた。もし最初からラグビーを指導していたら、知らないうちに驕りが生じていたかもしれません」。回り道こそが成功への近道。痛快なパラドックスである。

 

<この原稿は22年1月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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