名門で日本人選手共演 これって凄い変化なのでは?
単に会話のツールでしかなかったケータイは、いつしか依存症が問題になるほど、人々にとって欠かせない存在になった。化石燃料を選択するしかなかった自動車の燃料は、電機や水素を選べる時代になった。
当たり前ではなかったことが、当たり前になる。あるいは、当たり前だったことが、当たり前ではなくなる。どちらも滅多に起きることではないが、時々は起きる。
まだ世界がテスラもリーフも知らなかった時代、日本サッカー界にとって海外でプレーするのは特別なことだった。
そもそも、その特別な立場に挑戦できるのは、プロ入りする前から将来を嘱望された存在ばかりで、Jリーグへの入団は、複数の球団による争奪戦を経てからのものだった。中田英寿も、本田圭佑も、南野拓実も、デビュー前からファンには知られた存在だった。
今年の高校サッカーで最も名前を知られた選手と言えば、多くの人は青森山田の松木玖生を思い浮かべるだろうし、ひょっとしたら、静学の古川陽介という方もいるかもしれない。わたしの目にも、彼は良素晴らしく魅力的に映った。それこそ、韮崎の中田や、星稜の本田に負けないぐらいに。
だが、FC東京入りが決まった松木、磐田へ行く古川を巡って、激しい争奪戦が繰り広げられた、という話は聞かなかった。彼ら2人だけではない。かつての高校サッカーであれば大騒ぎになっていたであろうレベルにある選手の周囲も、いたって静かなものだった。
しかも、後に海外でプレーするスターたちの多くは、入団後即レギュラーを獲得していたが、令和4年の日本では、松木でさえFC東京のレギュラー確定とは見られておらず、しかも、そのことが何の驚きにもなっていない。かつての日本サッカーでは当たり前だったことが、いまや完全に当たり前ではなくなった。
その逆もある。
先週、ブンデスリーガのビーレフェルトに所属する奥川雅也が4試合連続となるゴールを決めた。4試合連続! それも、失礼ながら弱小ビーレフェルトで! とんでもないことだ。ハンブルクで“スシボンバー”こと高原直泰が得点を奪ったのに負けないぐらい、大変なことだ。
ところが、その一挙手一投足に注目が集まった高原と違い、奥川の快挙はサラッと流されてしまった。ブンデスリーガのレベル、所属するチームの実力を考えれば、国中が大騒ぎになっていてもおかしくないのに、まるで騒ぎは起きなかった。
いまでいうガラケーが少しもガラパゴスだとは思われていなかったころの日本人は、海外での日本人対決にも熱狂した。見ておかないと一生後悔する。わたし自身、そんなふうに感じて足を運び、またチャンネルを合わせたことを覚えている。
先日、セルティックでは3人の日本人選手が出場した。日本人対決、ではなく日本人の共演だった。全世界に1000万人近いファンを持ち、単なるクラブを超えた存在として知られる名門で、日本人選手が同時出場したのである。
電気自動車もスマホも、気付かないうちに当たり前になっていた。同じことが、滅多に起きないことが、いまの日本サッカー界には起きている。何となくスルーしてしまっているけれど、これってひょっとしたら世界的に見ても凄い変化なのではないか、と密かに思う。
<この原稿は22年1月20日付「スポーツニッポン」に掲載されています>