圧巻の強さを見せつけた青森山田の選手たちが、最後の最後になって見せた若さ、いい意味での青臭さが印象に残っている。

 

 スコアは4-0。逆転を喫する可能性はほぼない状態で獲得したコーナーキックを、彼らは得点を奪うためでなく、時間をつぶすために使った。4-0での時間稼ぎ? プロならばありえないし、大ブーイングを浴びていてもおかしくない。

 

 だが、彼らは高校生だった。決勝で2点のリードをフイにした経験を持つ、高校生だった。点差に関係なく、1ミリたりとも隙を見せまいとする姿勢が、青臭さが、わたしには微笑ましかった。彼らは、周囲が感じているほど絶対的な存在だとは自覚していないし、ならば、今後の伸びしろもたっぷりと残されている。

 

 かつての国見がそうだったように、桁外れのフィジカルの強さを見せつけた今回の青森山田には、昔ながらの批判もつきまとった。日本の高校年代では通用しても世界では……といった声である。

 

 実際、一時期の九州勢が技術よりもパワーに頼るサッカーをしていたのは事実である。また、国見にしろ鹿実にしろ、いささか理不尽であったり、非合理的な練習が恒常化していた時期もあった。

 

 だが、亡くなられた小嶺監督の影響を強く受けたと公言する黒田監督は、選手と向き合う姿勢は受け継ぎつつも、フィジカルに関しては至って合理的、科学的な発想の持ち主のようだ。

 

 選手たちの体格を見れば一目瞭然。いくら筋トレをしても、その後に長距離を走ってしまえば身体は細くなる。あるいは、昼食のあと、夕方の練習が終わるまで栄養を摂取できないタイム・スケジュールでは、やはり身体は細くなっていく。

 

 数年前、このコラムで高校サッカーに出場する選手たちの体格の貧弱さを嘆いたことがあった。高校野球、あるいは高校ラグビーの選手とは比較にならないぐらい、高校サッカーの選手は細く見えた、いや、実際に細かったからである。

 

 競技が違えば求められる資質も違う、という意見もあるだろう。サッカーは体格に左右されないスポーツだ、という人もいる。それはその通り。ただ、ラグビーのバックスに求められる資質は、サッカーとかけ離れたものだろうか。そして、サッカーは体格に左右されにくい競技だが、小さい方が、細い方が有利な競技なのだろうか。

 

 細くて小さかった久保建英は、スペインで生き抜くために身体を太くした。大人になってからでは重くなってしまう可能性がある筋肉を、早い段階から獲得してスピードと両立させようとした。18歳の時点での彼の体格は、明らかに同世代の日本人サッカー選手とは異なっていた――今回の青森山田のように。

 

 おそらくは今後、全国で「あれほどのフィジカルを獲得するにはどうすべきか」との考察が始まる。一方で、断じてフィジカルにはこだわらず、より技術に重点を置くというやり方にも出てきてほしい。いずれにせよ、今後が非常に楽しみである。

 

 というわけで、エポックメーキングな感すらある青森山田の優勝だったが、そんな彼らも、プレミアリーグでは2敗を喫している。高校サッカーとJユース。そろそろ不均衡なスポットライトの新しいあり方を考えるべき時期かもしれない。

 

<この原稿は22年1月14日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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