球場へ向かう道は県外からの車であふれていた。渋滞の中には九州各県はもちろん、遠く東北や関東のナンバープレートを付けた車も見受けられた。
 2月12日。宮崎キャンプが始まって12日目の土曜日、今日こそ長嶋茂雄が「背番号3」を披露するというウワサがまことしやかに流れていた。
 ただ、それだけの話である。
 ウワサとは恐ろしいもので、総合運動公園内にあるA球場で広島カープからやってきた江藤智がノックを受ける。その時我らがミスターはエイヤッとジャンパーを脱ぎ捨て、“生3番”を披露するのだと、あるベテラン記者は身振り手振りを交えて熱っぽく語った。天下の一大事とでも言わんばかりの口調である。

 昨年12月、FA権を行使して、江藤が巨人に入団した。広島時代、江藤が付けていた背番号が奇しくもミスターと同じ33。その番号を譲るかわりに、自ら現役時代に付けていた「背番号3」に戻る。
 ただ、それだけの話である。

 ミスターが26年ぶりに「背番号3」を背負うことが決まって以来、マスメディアはいつ、どんな状況で“生3番”を披露するのか、こぞって報道するようになった。すなわち、Xデーはいつかと……。いつしか、それはあたかも“国民的関心事”であるかのように報じられるようになり、紙面や画面のかなりの部分がそれに割かれた。

 さて当のミスターはといえば、そのことに戸惑っているようであり、また楽しんでいるようでもあった。
「エッヘッヘ、これほど話題になるとは思わなかったものですから。本当は序盤で思い切って脱ぐつもりだったんですが、脱ぎづらくなっちゃって。エッヘッヘ」

 知り合いのテレビカメラマンは、宮崎に来て5kgも痩せたと言って、私にふたつも縮まったベルトの穴を見せた。ミスターが走れば一緒になって走る。ミスターを見失えば、血眼になって探す。こんな生活があと3日も続けば、間違いなく自分はダウンするだろうと言って力のない笑みを浮かべていた。

 かくして、世にも不思議な“背番号狂騒曲”は長い長いイントロを終え、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。
 午後2時半。ミスターは白い車で颯爽とグラウンドに乗りつけた。ポケットから黒い革手袋をを取り出し、左手、右手の順にはめていく。

 南国の陽光を体全体に浴びながら、ミスターは右手でジャンパーのファスナーを一気に引き下げた。「オーッ!」というどよめきがグラウンドを包む。続いて、地鳴りのようなスタンディング・オベーション。

 参考までに言えばミスターが「背番号3」に別れを告げたのは、‘74年10月14日。すなわち、永久欠番の復活は実に26年、9251日ぶりということになる。
 あの日のことは今でもはっきり覚えている。“玉音放送”といわれてもピーンと来ないが、「巨人軍は永久に不滅です!」の名セリフは、少なくともキャンディーズの「私たち、普通の女の子に戻ります」よりはるかに印象深い。

 なにしろ野球といえば「長嶋」だった。長嶋の他には誰もいなかった。街の銭湯に行くと、先を争って「3」の下駄箱を探した。稲刈りのあとの田んぼで行なう草野球では、一目散にサード目がけて駈けていき、一番早く到着したものがサードを守った。ゴロが飛んでくると、わざと後ずさりして捕り、手をひらひらさせながらファーストに送球した。もちろん帽子のヒサシを斜めに折ることも忘れなかった。

 しかし、それは26年以上も前の出来事である。思い出はあくまでも思い出であった。それを有り難がるほど無垢ではない。
 正直に言えば、一連の“背番号狂騒曲”にはウンザリしていた。背番号3に戻ったからといって、今さらミスターが現役復帰を果たすわけではない。ただ「33」が「3」に変わるだけのことではないか。それを何を今さら大騒ぎしているのか。少なくとも宮崎に行くまでは、そんな気持ちだった。

「おい、この幸せ者!」
 中年男性とおぼしきバックネット裏の観客がノックを待つ江藤に向かって叫んだ。
 気の毒なことに受け手の江藤は“刺身のツマ”以外の何物でもない。ついでに言えば、ノックのボールを供給する篠塚コーチ、受け手を励ます原コーチは、相撲にたとえて言えば太刀持ちと露払いのようなものである。
 ノッカーが主役のノックなんて、長い間、野球を見ているが見たこともなければ聞いたこともない。“ここが変だよ、日本人!”と指摘されたら、うなずくより他にないだろう。

 ノックは練習というよりショーとしての要素を多分に含んだものだった。
「江藤、少しは暖まってきたか?」
「流すなよ、流すなよ」
 江藤がイージーなゴロを捕り損ねると、すかさずこんな檄が飛んだ。
「大介(元木)に勝てないぞ! 今のを捕らにゃ!」
 ノックも30分を過ぎると、ボルテージはさらに高まる。
「江藤、オレに負けるなよ。ノッカーにかかってこい!」
「オレは死に球は打ってないぞ。死に球はなっ!」

 ノックを見ているうちに、ミスターの存在感に圧倒されそうになった。ノスタルジックな思いが甦ってきたからではない。還暦を三つも超えていながら、バットを振るその瞬間だけは現役時代と比べて何ひとつかわってはいないことにハタと気がついたのである。

 ミスターは普通のノッカーがそうするように右手でボールをトスしない。左手でトスし、素早くその手でグリップエンドを握るのだが、この時のトップの位置が恐ろしいほどピタリと決まるのだ。

 さらに、スイングした瞬間、右肩から左腰にかけてユニフォームに流線型のシワが寄る。このシワは動的な美しさを表しており、まさにバットを振り抜いた直後、私たちの目は背中の「3」を視認することになる。

(後編につづく)

<この原稿は2000年4月号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>
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