「ナイスボディー!」。心の中で何度叫んだことか。「ザ・殴り合い」とでも言いたくなるような壮絶な一戦だったにもかかわらず、妙に後味がよかったのは、2人のファイターが互いをリスペクトし合っていたからだろう。

 

 試合後、ミドル級2団体王座を統一したゲンナジー・ゴロフキンがカザフスタンの民族衣装である「チャパン」を傷だらけの村田諒太に着せようとした時には、年甲斐もなくウルッときた。会見の場で、それについて質問されたゴロフキンは、「(チャパンは)最も尊敬する人に贈るという慣習がある」と答えた。それを聞いて、またウルッときた。

 

 ボクシングの世界の住人たちは「強い者が勝つのではなく、勝った者が強い。それがボクシング」と、しばしば口にする。その意見には賛成だが、稀に勝ち負けを超えた試合が存在する。敢えて言えば「試合そのものが勝者」――そんな戦いである。

 

 あくまでも独断だから異論はご容赦願いたい。私の“心のボクシング・ミュージアム”には、名画が2点飾ってある。1点目は11歳の時、テレビで観たルーベン・オリバレス対金沢和良戦。68戦66勝(61KO)1分け1敗のWBC世界バンタム級王者相手に、金沢が勝つ可能性は「1000にひとつもない」と言われた。2年前の対戦では2回KO負けを喫していた。

 

 だが、この日の金沢は違った。本人いわく、オリバレスの「石斧のようなパンチ」に耐え、迎えた13ラウンド、「ここで死のう」と腹をくくっての連打が絶対王者をダウン寸前に追い込む。「無意識のうちに叫んだよ。“テメェー!”って。アゴにヒットした瞬間、ヤツの体が宙に浮いたんだ」。だが、それは断末魔の叫びでもあった。14回KO負け。奇跡は起きなかった。

 

 2点目は20歳の時、日本武道館で観たルペ・ピントール対村田英次郎のWBCバンタム級世界戦。無敗のWBAバンタム級王者アルフォンソ・サモラを破ったのがカルロス・サラテ。判定ながらそのサラテを破ったピントール相手に村田は前半、軽快なフットワークを駆使してポイントを奪う。「ヤツのパンチといったら、トンカチで殴られたような衝撃でした」。終盤、ピントールに攻め込まれたが持ちこたえ、最終15ラウンドへ。両者死力を尽くしての攻防は勝ち負けの次元を超えていた。結果はドロー。

 

 そして3点目が4日前に埼玉で目撃したWBA・IBF世界ミドル級王座統一戦だ。フィニッシュ直前のワンシーン。ゴロフキンの猛攻をしのぎ、ロープを脱した刹那の村田の逆襲には既視感があった。映画の「ロッキー」である。リアルがフィクションを超えていく。空を切った村田の左フックの残像が今もまだ頭から離れない。

 

<この原稿は22年4月13日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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