開幕から9連敗の阪神。セ・リーグのワースト記録を塗り替えたというくらいで何を大騒ぎしているのか。競走馬のハルウララは1998年11月から04年8月にかけて113連敗を記録して話題を集めた。だが、そのくらいは、まだかわいい方。ダンスセイバーという馬はデビューから続く連敗を229にまで伸ばしている。

 

 大相撲に目を転じると序ノ口の勝南桜は19年初場所から21年名古屋場所にかけて本割で104連敗というワースト記録をつくった。自他ともに認める“史上最弱力士”だ。

 

 何の慰めにもならないだろうが、このように下には下がいるのだ。ペナントレースはまだ始まったばかり。後ろを振り向いたり、うつむいたりしてはいけない。眠りから覚めた虎の逆襲に期待したい。

 

「負けが込んでいる時に、長いミーティングで選手たちにあれこれ注文を付けるのは愚の骨頂」。かつて、そう喝破した監督がいる。近鉄時代の仰木彬だ。92年9月初旬、近鉄は北海道に遠征した。負けが込んでいたわけではないが、1日の西武戦では先発にエースの野茂英雄を立てながら、0対22と大敗を喫していた。釧路での日本ハム戦が終わった直後だ。仰木は全選手を居酒屋に招集し、こう口を切った。「今日は心置きなく飲んでくれ。だが、ひとつ提案がある。先に大ジョッキを飲み干した者をスタメンに使おうと考えている」

 

 当時の近鉄は、キャッチャーは光山英和、古久保健二、山下和彦。ショートは吉田剛を筆頭に水口栄二、安達俊也といった具合にポジション争いが激しかった。投手陣もローテーションに谷間があった。一気飲み大会に参加した吉井理人は、後に語ったものだ。「僕はそれほど飲まないんですが、あの時は死ぬ気で飲みました。大げさでなく自分の野球人生をかけるつもりで(笑)」

 

 現参院議員の石井浩郎は入団3年目でサード、もしくはファーストのポジションを確保していたため「死ぬ気で飲む」必要はなかったが、いい気晴しになったという。「仰木さんには、遊び心がありました。選手を精神的に追い込むことは絶対にしなかった。不振の時も“日々に新たなりだ”とよく言ってました」

 

 生前、酔った勢いで仰木に不躾な質問をしたことがある。「野村克也さんが“仰木の野球には根拠がない”と仰っていますが…」。フフンとうなずき、仰木は言った。「根拠? 確かにないね。誰を使っても大差がない時は“オレを使え”という選手の方が働いてくれるんです。これは長年のカン。でも、不思議とよく当たるんです。アッハッハ」

 

 北海道遠征を終え、藤井寺に戻った近鉄は、そこから4連勝した。今から30年前の話である。

 

<この原稿は22年4月6日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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