松山南二中には柔道部がなく、中井は週に3日、道場の稽古に通った。その中で、1年生のころから全国中学大会に出場し、3年のときには女子48キロ級で5位に入った。
「道場での週に3回の練習で全国5位になれたから、じゃあ高校で毎日やったら、もっと上に行けるんじゃないかな、と」


 高校は、本格的に柔道に取り組むため、東京の東海大学付属高輪台高校へ進学した。親元を離れての寮生活だったが、不安はなかったと中井は振り返る。
「けっこう強気だったんです。『お父さん、お母さん、ちょっとひと花咲かせてくるから、待っててね』みたいなノリで(笑)。ホームシックも全くなかったですね」
 高校時代は、全国タイトルこそ手にできなかったものの、52キロ級で国体3位入賞を果たした。
 この頃には日本のトップが現実的な目標として見え、「いつかはオリンピックに出たい」という思いも抱いていた。

 高校卒業後、勧誘を受けた女子の強豪校・帝京大に進学した。だが、入学して間もなく、膝の怪我に見舞われた。
 悩んだ末、大学を辞め、松山の実家に帰ってきたのは、1年目の夏だった。中井にとって、初めて経験する大きな挫折だった。
「帰ってきて、相当落ち込みましたね。もう、引きこもりみたいな感じで、半年くらいの間、何もせずに家にいました。自分に自信もなくして、これからどうしよう…と」
 立ち直りのきっかけは、両親からの言葉だった。
「『1日中家にいられたんじゃ困るし、ジャマだから、何かしてくれ』と。私のことを思って言ってくれたと思います。『せめて、毎日走ったら? 今すぐ、何をしろって言わんから、これからのことはゆっくり考えればいいから。大学に行くなら、お金は出してやるから』と言ってくれた。まだ19歳なのに、何もしないなんてダメですよね。自分でも『何かしよう』と、これからのことを考え始めたんです」
 どこかの大学に入り直すのにも遅い時期ではなかったが、今から勉強したいと思うことが特別にあるわけではなかった。
 野球やサッカーなどのプロスポーツ選手は、自分たちが好きで得意なものを続けてきたことで、子供たちに夢も与えられる――そんな姿への憧れもあった。
「自分にできるものは、やっぱりスポーツしかないな、と。やっぱり、もうひと花咲かせたい、という気持ちはありました」
「自分に合うもの」を探していた中井にとって、ピンときたのが、格闘技だった。もともと、PRIDEやHERO’Sなどテレビで観戦するのが好きだった。そのリングでは柔道出身選手も多く活躍している。
「甘くないのはわかっているけど、やってみたい」――。
 女子格闘技はまだまだ層は薄いといわれるが、近年、その人気は高まっている。中井にとっても、魅力的なリングだった。


(第3回に続く)

中井りん(なかい・りん)プロフィール
1986年10月22日、愛媛県松山市出身。3歳のころから柔道を始める。中学時代は全国5位。高校時代は国体3位。06年9月から本格的に総合格闘技に取り組む。主な獲得タイトルは『スマックガール グラップリングクイーン トーナメント2006』4位。06年10月1日、プロデビュー戦となったパンクラス梅田大会、伊藤あすか戦でTKO勝利をおさめる。所属は修斗道場四国。155センチ、56キロ。




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