ここまでは8勝4敗3分の2位タイ。現状は野村克也元監督の言葉ではありませんが、「勝ちに不思議の勝ちあり」というのが正直な心境です。勝ち越しているとはいえ、14日の試合では7点差を追いつかれたり、4月26日の試合では大量20失点を喫したりと、決してチームは磐石と言えないからです。
 ただ、就任以来、言い続けているプロとしての意識改革は、選手たちの中に浸透してきているように感じます。今季の愛媛は首脳陣が全員代わり、お互いに手探り状態でのスタートでした。結果が出ていることで、選手たちに「今のスタイルでやればいいんだ」という実感を持ち始めているのではないでしょうか。

 もちろん、攻守にわたって、まだまだ伝え切れていないところもたくさんあります。ミスも少なくなく、ファンの方には申し訳ない気持ちです。しかし、僕は今のうちにミスが出たほうが、結果的にはチームにも、選手にもプラスだと考えています。実戦の中で反省点を見つけ、それをひとつひとつ修正していくことが早いレベルアップにつながるからです。大事な場面での失敗は勝敗にも直結します。敗戦や引き分けはないに越したことはありませんが、リーグ戦は全部勝てるわけでもありません。大事なのは、敗戦をただの1敗にしない姿勢だと考えています。

 前回、紹介したように、チームを構成する上で僕は“柱”となる選手を決めました。そのひとり、4番の武田陽介はここまで全試合でスタメン出場。ずっと中軸を務めることで成長の兆しが見えつつあります。というのも単に長打を狙うだけではなく、四球を選んだり、内容のある凡打が打てうようになったからです。顔つきも良くなってきました。この先も「武田が打てなければ仕方ない」とチームメイトやファンが納得するような真の4番を目指してほしいと感じています。

 もうひとり、柱として考えていた高田泰輔は好不調の波があるのが課題です。それは体力よりも精神面の問題が大きいように感じます。1、2本ヒットが出ると、ついついホームラン狙いに走ってしまい、打撃を崩してしまうのです。ですから彼には「ホームラン王より首位打者を狙え!」と話をしました。

 僕も現役時代を振り返ってみると、若い頃は1日1本ヒットを打てば、それでOKという意識でした。いつだったかベテランの和田豊さん(現阪神打撃コーチ)が1試合3安打を放った後、さらにライト前へ渋い当たりを飛ばしたことがありました。ベンチに帰ってきた和田さんに僕はつい口を滑らし、「たまには一発狙ってもええやないですか」と声をかけてしまったのです。「オマエ、何、言うとんのや?」。和田さんから、こう返されたことは言うまでもありません。

 和田さんのような一流選手は、一打席一打席の重みを理解しています。3安打しようが4安打しようが、自分の打撃スタイルを変えることはないのです。だからこそ継続して結果を残すことができるのでしょう。そのことに若い僕は気がつきませんでした。だからこそ、高田をはじめ、愛媛の選手たちには、1球、そして1打席の大事さをかみしめてほしいと強く思っています。

 開幕から予想以上の成績を残し、5番に座っているのが、新人の岡下大将(大阪ゴールドビリケーンズ)です。キャンプから打撃には可能性を感じていたものの、荒削りも荒削り。最初からコンスタントに打てるとは考えていませんでした。彼はボールを下から覗き込むクセがあり、バットのヘッドが下がる欠点があります。今はいろいろなアプローチで、そこを修正しているところです。長いシーズン、このままうまくはいかないでしょう。壁に当たりながら、ひとつひとつ乗り越え、いいバッターになってほしいと期待しています。

 そんな中、チームの精神的な柱になってくれているのが、30歳の古卿大知です。彼は練習も人一倍しますし、チーム全体のことを考えて行動しています。実は古卿については今後のことも考え、若い選手のサポート役として起用する構想でした。しかし、プロ意識も高く、「勝ちたい」という気持ちを全面に出してくれる人間をわざわざベンチに置いておく話はありません。個人成績に走っていないにもかかわらず、打率は.429とリーグトップです。今後の戦いでも彼は大きな役割を果たしてくれることでしょう。

 前期もほぼ半分の試合を消化し、32試合があっという間に感じる今日この頃です。ここまで来れば優勝を狙うのは当然ですが、だからと言って、何かこれまでと違ったことをするつもりはありません。前期が終わっても後期がありますし、各選手たちにとってはドラフト指名という大きな目標があります。今やるべき仕事を個々人がする中で、チームとして勝利する。これが理想です。理想を現実のものにできるよう、1日1日、一戦一戦を大切にしていきたいと思っています。引き続き、応援よろしくお願いします。


星野おさむ(ほしの・おさむ)プロフィール>:愛媛マンダリンパイレーツ監督
 1970年5月4日、埼玉県出身。埼玉県立福岡高を経て、89年にドラフト外で阪神に入団。内野のユーティリティープレーヤーとして、93年に1軍デビューを果たすと、97年には117試合に出場。翌年には開幕スタメンで起用される。02年にテストを経て近鉄へ。04年に近鉄球団が合併で消滅する際には、本拠地最終戦でサヨナラ打を放つ。05年に分配ドラフトで楽天に移籍し、同年限りで引退。06年からは2軍守備走塁コーチ、2軍打撃コーチなどを務めた。11年より愛媛の監督に就任。
◎バックナンバーはこちらから