第37回 ボランティアを“する側”と“される側”という図式の存在
10月12〜14日の3日間に渡って、「スポーツ祭東京2013」の一環として行なわれた全国障害者スポーツ大会(全スポ)。NPO法人STANDでは、東京都と協働でインターネットでの動画配信を行ないました。今回の配信事業の目的は、もちろん障害者スポーツの普及拡大ということが挙げられます。しかし、私にはもうひとつの目的がありました。
(写真:編集スタッフとして全スポを支えた石渡康大さん<右>)
「ボランティア」――日常に溶け込んでいるたこのワードに対して、皆さんはどんなイメージを持っているでしょうか。頭の中に浮かぶボランティアに携わる人には老若男女、さまざまな人がいることでしょう。しかし、その中に障害を持っている人もいるという人は、そう多くはないと思います。いえ、皆無に近いと言っても過言ではないかもしれません。なぜなら「障害者=ボランティアをされる側」、「健常者=ボランティアをする側」という関係が、無意識のうちにできあがってしまっているからです。そしてそれは崩れることのない上下関係になっていることも少なくないのです。
今回の動画配信について、関係者と打ち合わせをした時のことです。スタッフはボランティアを募ることになりました。そこで、私はこう提案しました。
「障害を持っている人にも、ボランティアに参加してもらいましょう」
すると「えっ!? 本当ですか?」「大丈夫ですか?」という驚きの声が上がりました。しかし、それは決してマイナスなものではなく、「それ、いい案ですね」というプラスにとってくれたものでした。もちろん、賛同してくれたことは嬉しかったのですが、その時、私は「今も変わってないんだなぁ」という気持ちにもなったのです。というのも、約20年前、私は同じことを経験していたからです。
1991年、石川県で国体と全スポが行なわれた時のことです。当時、金沢市内で企画会社を立ち上げたばかりの私は、全スポのパソコン通信による速報配信に携わる機会に恵まれました。実は私はそれまで一度も障害のある人と話をしたこともなく、それが生まれて初めての障害者との接点でした。ですから、障害者について、また取り巻く環境についての知識は全くありませんでした。
その時行なったのが「障害のある人自らがボランティアスタッフとなって、障害者のスポーツ大会を盛り上げよう」という企画でした。実はこのプロジェクトに関わるようになった当初、私は違和感を覚えたことがありました。それは「障害者=ボランティアされる側」「健常者=ボランティアする側」という図式が存在することでした。当時の私には障害者への知識もない代わりに、先入観もありませんでしたから、これには非常に疑問を感じたのです。
「なぜ、障害者はボランティアをしてもらうだけと決められているのだろう……」
これが、このプロジェクトに「障害のある人がボランティアとして参加する」という企画を加えた理由です。そしてその違和感は後に、年齢、性別、国籍、障害の有無を問わないユニバーサル社会をつくりたい、という現在運営しているNPO法人のコンセプトへとつながっていったのです。
誰にでもある“できること”“できないこと”
さて、話を今年の全スポに戻します。前述した通り、今回は20歳以上という条件のみでボランティアの募集をしたところ、48名の応募がありました。その中には障害のある人も3名いたのです。そのうちの1人、大東文化大学4年生の石渡康大さんは、今回の応募を見て「やっとチャンスがきた!」と思ってくれたそうです。
石渡さんは脳性まひで、車椅子を使用しています。彼は特にスポーツに興味をもっているわけではありませんし、スポーツ経験もほとんどありません。ですから、石渡さんにとってはスポーツのイベントでなくても良かったのです。とにかく彼はずっと何か社会と関わることをしたかった。ボランティアもしてみたいと思っていました。しかし、障害のある人を対象にボランティアを募集することはなかなかありません。彼にはボランティアをするという選択肢はどこを探してもなかったのです。
そんな時に今回の募集を知り、驚くと同時に「ついに来た! 待っていたこの機会に飛び込もう!」と嬉しくなり、すぐに応募してくれたのだそうです。実際、石渡さんをはじめ、障害のある3人の人たちは、大いに力を発揮してくれました。その仕事ぶりは、他のスタッフと何ら変わりありません。
(写真:スポーツ大会には、選手以外にもさまざまなかたちで参画することができる)
もちろん、彼(女)らにできないこともあります。例えば車椅子の石渡さんには試合の現場での撮影は難しい。しかし、それは健常者でもパソコンに弱い人には編集作業は難しいのと同じことです。誰にでもできることと、できないことはあります。だからこそ、できることで力を発揮すればいいのです。そこに障害の有無は関係ありません。
今回のことを通じて、障害のある人が競技としてスポーツをする、そしてボランティアという立場で大会の運営を支えるなど、参画の仕方にはさまざまあり、障害者あってもなくても、関わり方は多様であることを教えてくれました。7年後の東京オリンピック・パラリンピック開催時には、障害のある人にもボランティアをする選択肢があることが常識となっている日本社会にしたい。そのために私たちにはやるべきことがたくさんある、と改めて使命を感じました。
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。
(写真:編集スタッフとして全スポを支えた石渡康大さん<右>)
「ボランティア」――日常に溶け込んでいるたこのワードに対して、皆さんはどんなイメージを持っているでしょうか。頭の中に浮かぶボランティアに携わる人には老若男女、さまざまな人がいることでしょう。しかし、その中に障害を持っている人もいるという人は、そう多くはないと思います。いえ、皆無に近いと言っても過言ではないかもしれません。なぜなら「障害者=ボランティアをされる側」、「健常者=ボランティアをする側」という関係が、無意識のうちにできあがってしまっているからです。そしてそれは崩れることのない上下関係になっていることも少なくないのです。
今回の動画配信について、関係者と打ち合わせをした時のことです。スタッフはボランティアを募ることになりました。そこで、私はこう提案しました。
「障害を持っている人にも、ボランティアに参加してもらいましょう」
すると「えっ!? 本当ですか?」「大丈夫ですか?」という驚きの声が上がりました。しかし、それは決してマイナスなものではなく、「それ、いい案ですね」というプラスにとってくれたものでした。もちろん、賛同してくれたことは嬉しかったのですが、その時、私は「今も変わってないんだなぁ」という気持ちにもなったのです。というのも、約20年前、私は同じことを経験していたからです。
1991年、石川県で国体と全スポが行なわれた時のことです。当時、金沢市内で企画会社を立ち上げたばかりの私は、全スポのパソコン通信による速報配信に携わる機会に恵まれました。実は私はそれまで一度も障害のある人と話をしたこともなく、それが生まれて初めての障害者との接点でした。ですから、障害者について、また取り巻く環境についての知識は全くありませんでした。
その時行なったのが「障害のある人自らがボランティアスタッフとなって、障害者のスポーツ大会を盛り上げよう」という企画でした。実はこのプロジェクトに関わるようになった当初、私は違和感を覚えたことがありました。それは「障害者=ボランティアされる側」「健常者=ボランティアする側」という図式が存在することでした。当時の私には障害者への知識もない代わりに、先入観もありませんでしたから、これには非常に疑問を感じたのです。
「なぜ、障害者はボランティアをしてもらうだけと決められているのだろう……」
これが、このプロジェクトに「障害のある人がボランティアとして参加する」という企画を加えた理由です。そしてその違和感は後に、年齢、性別、国籍、障害の有無を問わないユニバーサル社会をつくりたい、という現在運営しているNPO法人のコンセプトへとつながっていったのです。
誰にでもある“できること”“できないこと”
さて、話を今年の全スポに戻します。前述した通り、今回は20歳以上という条件のみでボランティアの募集をしたところ、48名の応募がありました。その中には障害のある人も3名いたのです。そのうちの1人、大東文化大学4年生の石渡康大さんは、今回の応募を見て「やっとチャンスがきた!」と思ってくれたそうです。
石渡さんは脳性まひで、車椅子を使用しています。彼は特にスポーツに興味をもっているわけではありませんし、スポーツ経験もほとんどありません。ですから、石渡さんにとってはスポーツのイベントでなくても良かったのです。とにかく彼はずっと何か社会と関わることをしたかった。ボランティアもしてみたいと思っていました。しかし、障害のある人を対象にボランティアを募集することはなかなかありません。彼にはボランティアをするという選択肢はどこを探してもなかったのです。
そんな時に今回の募集を知り、驚くと同時に「ついに来た! 待っていたこの機会に飛び込もう!」と嬉しくなり、すぐに応募してくれたのだそうです。実際、石渡さんをはじめ、障害のある3人の人たちは、大いに力を発揮してくれました。その仕事ぶりは、他のスタッフと何ら変わりありません。
(写真:スポーツ大会には、選手以外にもさまざまなかたちで参画することができる)
もちろん、彼(女)らにできないこともあります。例えば車椅子の石渡さんには試合の現場での撮影は難しい。しかし、それは健常者でもパソコンに弱い人には編集作業は難しいのと同じことです。誰にでもできることと、できないことはあります。だからこそ、できることで力を発揮すればいいのです。そこに障害の有無は関係ありません。
今回のことを通じて、障害のある人が競技としてスポーツをする、そしてボランティアという立場で大会の運営を支えるなど、参画の仕方にはさまざまあり、障害者あってもなくても、関わり方は多様であることを教えてくれました。7年後の東京オリンピック・パラリンピック開催時には、障害のある人にもボランティアをする選択肢があることが常識となっている日本社会にしたい。そのために私たちにはやるべきことがたくさんある、と改めて使命を感じました。
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。