ソチ冬季パラリンピックで、日本は海外開催の冬季パラリンピック史上最多タイの3つの金メダルを獲得した。そのうちの2つがアルペンスキー(座位)の滑降とスーパー大回転を制した狩野亮だった。


狩野は前回のバンクーバー大会でもスーパー大回転を制しており、冬季パラリンピックでは日本初の連覇を達成した。
ソチはまれに見る難コースだった。アルペン競技では途中棄権者が続出した。そんな中、狩野はチェアスキーを、まるで自らの体の一部のように操り、思い通りのレースをしてみせた。大舞台に強いのはピーキングのコツを心得ている証拠だろう。

ソチに入る前、狩野は金メダルへのシミュレーションをこのように語っていた。

「この競技で何より難しいのはスタートまでの気持ちのコントロール。というのもスタートを切るまでにはかなりの待ち時間を要し、加えて前の選手が転倒したりするたびにレースは中断される。
その間、僕たちは寒い山の中で待機していなければなりません。ひどい時は2、3時間も。だから最初から張り詰めた気持ちでいると、途中で耐えられずにパンクしてしまう。待っている間はリラックスしていて、いざスタートゲートに入ったら気持ちを集中する。そしてスタートを切った瞬間が集中のマックスというのが理想です」

果たして、その通りになった。オンとオフの切り替えが上手いのだろう。

バンクーバーで金メダルを獲った後、「気持ちの入らない時期」が続いた。「満足感や達成感に変わってしまった」と狩野は語り、こう続けた。

「帰国後、いろんなイベントに出させてもらい、金メダリストとしての扱いを受けているうちに、がむしゃらさがなくなっていったんです。そんな時期が2年続きました」

どうやってモチベーションを喚起したのか?

「仲間の存在が大きかった。昨年のスペインでの世界選手権、スーパー大回転での成績は先輩の森井大輝さんが1位で僕が3位。アスリートである以上、やはり表彰台の一番高いところに立ちたいという思いが込み上げてきた。鈴木猛史も含め、仲間の存在が僕を苦しい場所から救い出してくれたんだと思います」

2020年東京オリンピック・パラリンピック開催が決定したことで、パラリンピックに向けられる国民の視線も熱を帯びてきた。

先述したようにソチ大会は金メダル数こそ海外開催の冬季大会最多タイだったが、メダル総数ではトリノ、バンクーバーに及ばなかった。

「僕にとっては出来過ぎの大会でしたが、将来について危機感がある」

神妙な口ぶりで言い、狩野は続けた。

「夏と冬の違いはあるものの、東京パラリンピックを成功させるためには、金メダリストとして、どのような活動ができるのか。その責任を今、ひしひしと感じているところです」

(この原稿は『サンデー毎日』2014年4月13日号に掲載されたものです)



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