石井寛子(ガールズケイリン)<前編>「勝つための道筋が見える」
白、黒、赤、青、黄、緑、橙――カラフルな彩りがバンクに華を添える。2012年6月に産声を上げた「ガールズケイリン」。1964年に一度は廃止された女子競輪が復活したのだ。そのガールズケイリンで眩いばかりの輝きを見せているのが、石井寛子だ。昨シーズンは新人ながら、初代ガールズ最優秀選手賞(MVP)の加瀬加奈子、この年の賞金女王の中村由香里というトップ選手を抑え、MVPを獲得した。12回の優勝は加瀬、中村と並ぶものだが、1月からレースに出場できる1期生の2人と、5月からデビューした2期生の石井ではレースの出場回数が違う。その“ハンデキャップ”を物ともしなかった事実が石井の圧倒的な強さを物語っている。
石井自身が「出来過ぎ」と振り返るデビューシーズンは、優勝回数、勝率、平均競争得点の3部門でトップの成績を収めた。38戦34勝と9割近い勝率を叩き出し、4着以下の着外は1度だけだった。2着以内に入る確率の連対率は92.1%、3着以内に入る確率の3連対率は97.3%。つまり石井が出走するレースは、ほぼ彼女が車券に絡んだということになる。
競輪学校104期生(女子2期生)の石井は、校内競争の成績は57戦52勝で在校1位と“首席”で卒業している。卒業記念レースでも完全Vを果たし、加瀬や中村という女子1期のトップ選手では成しえなかった偉業を達成した。既に自転車競技のトラック代表として、日の丸を背負うこともあった石井は、デビュー前から注目度も高かった。
声援が背中を押した地元デビュー
デビューは昨年5月、地元バンクである東京の京王閣競輪場で迎えた。第7レース目、ガールズ予選1。ガールズケイリンは約1600メートルでのレースが基本である。京王閣ではバンクを4周し、残り1周半までは先頭誘導員がペースメーカーとして引っ張る。3番車の石井は、スタートから先頭誘導員のすぐ後ろにつけた。それを競輪用語では“S(スタンディング)を取る”という。Sを取るのが石井の理想のパターンだ。先頭誘導員が離れるまでは、そこで他の選手を牽制しつつ、戦況を窺う。ラスト1周を切ってから、バックストレートで仕掛ける捲り、最後の直線で勝負する追い込みと、レース終盤にスパートをかけることが狙いの“捲り追い込み”という戦法である。
残り1周半となり、先頭誘導員が離れる。そこで打ち鳴らされる鐘(ジャン)こそが、本当の勝負が始まる合図だ。それぞれの選手の戦略により、隊列も一気に崩れる。先行逃げ切り型の選手はここで飛び出し、先頭で空気抵抗を受けながらも、ぶっち切りにかかる。この日はガールズケイリン初代賞金女王となった小林莉子が先行した。石井は小林の後ろにつけ、虎視眈々と勝機を窺う。
ラスト1周となって小林が遅れ始めると、他の選手がトップを奪う。第2コーナーを回り、バックストレートに入ったところで石井は、ついに仕掛けた。小林らを置き去りにし、一気に抜け出すと、そのまま1着でゴールした。
2着に3車身の差をつける圧勝。余裕のレース展開にも見えたが、石井自身は「昨シーズンの中で一番緊張したレースだった。結果的に後ろを離してはいますが、身体が硬く、脚が回っていなかった」という。ペダルを漕ぎながら“進まない! 進め! 進め!”と必死の思いで走っていたのだ。
実は石井、レース前に筋肉痛がひどく本調子ではなかった。周囲からも「今回はダメだな。無理してケガだけはしないように」と言われていた。しかし、身体が万全でないことで勝ちを意識し過ぎることもなく、無駄な力が抜けた状態になっていた。彼女にとっては、不調だったことが好転した。「日に日に身体が動いてきた」と翌日の予選2を快勝する。レースをこなしていくうちに身心ともにほぐれ、「完璧な状態」で臨んだ2日後の決勝では、バックストレートで鮮やかに抜き去り、2着に8車身の大差をつける圧勝劇。3連勝で完全優勝を果たした。
決勝レースのオッズは堂々の1番人気に推されていた。期待の新人、さらにはホームバンクということもあり、多くのファンが詰めかけた。プレッシャーを感じるのではなく石井はその声援を力に変えた。「お客さんが“寛子!”と声援をくれた。(勝因は)京王閣だったことが一番大きいですね。もうとても楽しくて、思い出に残るレースでした」
負けても止まらぬ快進撃
最高のスタートを切った石井の快進撃はその後も続いた。2週間後、名古屋でのレースも3連勝で完全優勝。次の平塚でも3戦全勝で制し、デビューから9連勝を達成した。これで中村が持っていたガールズケイリンのデビュー連勝記録を塗り替えた。松山で連勝記録を12に伸ばし、4場所連続の完全優勝を果たした。
しかし8月、石井にデビュー以降、初めて土がついた。地元・京王閣でのガールズ予選1で4着に沈んだのだ。それでも翌日の予選2、翌々日の決勝を制し、再び連勝街道に乗る。防府(山口)、青森で連続Vを達成した。
9月にはガールズケイリンの特別レース・ガールズコレクション(GKC)京王閣ステージに出場した。ガールズケイリン版のオールスターにあたるこの大会。石井は1万7396票を集め、加瀬に次ぐ2位で選出された。先行勝負の加瀬と後半勝負の石井。対照的なスタイルの2人の対戦に注目が集まったが、大会前に加瀬が出場辞退したことにより、“直接対決”は流れた。
それでも出場メンバーには中村、小林ら1期生の強者たちが顔を揃えた。レース序盤、石井はSを取る。ジャンが鳴ると、まず中村が仕掛け石井をかわす。その中村は、一度は他の選手に先頭を譲ったものの、その選手の真後ろ(番手)につけた。ラスト1周を過ぎたところのバックストレートで、番手捲りを仕掛け、そのまま逃げ切りを図る。第3コーナーで2番手に浮上した石井も、それを追いかける。
第4コーナーを曲がり切ると、石井はここでスパート。グングン加速し、最後の直線で鮮やかに中村を抜き去った。差し切って1着でゴールイン。レース後のインタビューでは「差し脚はずっと練習してきたことなので、できて良かった」と胸をなで下ろした。石井の連続優勝は8まで伸びた。
その1週間後、立川(東京)のガールズ決勝で連続優勝は途切れた。だが、勢いは衰えない。10月に入り奈良と弥彦(新潟)、11月の松山と伊東(静岡)を制し、4場所連続優勝を成し遂げた。年末のガールズグランプリ(ガールズGP)への出場も文句なしで決めた。6月から10月までの平均競走得点上位7名が選ばれる中、石井はトップでの選出だった。
“心と身体が一致しなかった”ガールズGP
12月、立川競輪場でのガールズGPを迎えた。2013年の総決算とも言える大会で、加瀬や中村らがいる中で石井は1番人気に推された。いい緊張感で迎えられたが、シーズンの疲れがあり、決して本調子ではなかった。加えてタイミング悪く、練習相手を欠くなど、万全の調整ができていなかった。
レースではいつも通りSを取り、前方に位置して状況を見守った。ジャンが鳴ると、2選手が石井を抜いて行った。彼女はそのペースアップには付き合わず、3番手につけた。残り1周を切り、後方から加瀬が仕掛ける。先頭の2選手をアウトからかわす。それに合わせて石井もペースを上げようとしたが、すぐ横には同じようにスピードアップした中村がきていた。“ぶつかる!”。そこで石井はペダリングを一瞬、躊躇った。このわずかな遅れが勝敗を分けた。「判断が悪かったです。頭では“あそこだ!”と、わかっていたのに身体が動かなかった」。結局、インに閉じ込められた石井は、そこから脱するために無駄な脚を使ってしまった。最終コーナーで3番手に上がったが、追いつく力は残っていなかった。加瀬を差し切る中村の後ろ姿を見せつけられ、そのまま3着でゴールした。シーズンの最終戦はほろ苦いものとなった。
敗因に挙げられる残り1周の場面。好調時であれば、勝利への道筋を見つけた瞬間、「身体がガンガン動く」と自然と反応する。しかし、石井は「あの時も見えていましたが、動いたのは頭だけでした」と唇を噛む。一瞬の判断や反応の遅れで勝敗が分かれる。これぞ競輪というレースであった。
年末の総決算で敗れたとはいえ、その実力は誰しもが認めるところだ。師匠で男子プロ競輪選手の朝倉佳弘は、石井をこう評する。
「技術面において、日本女子の中では、ずば抜けていると思う。空気抵抗の逃し方、位置取り、ペダリングなど、教えることはほとんどないと思います」
石井自身も長年の経験で培ったテクニックには自信を持っている。「もうそれしかないと思うんです。みんなと違うところを探した時に、私には脚力がないのでテクニックで勝負しているところがありますね。もちろん脚力はつけていかないといけないですが、テクニックを磨き、頭を使って勝つ」。勝つための道筋を見極め、自らの技術を駆使して、バンクを駆け抜ける。それを1戦1戦積み重ねて、34個の白星を手に入れた。アスリートとして、常に先頭を切って、走っているように見える石井だが、はじめからエリートだったわけではない。競技者としてのスタートラインは高校時代にまで遡る――。
(後編につづく)
<石井寛子(いしい・ひろこ)プロフィール>
1986年1月9日、埼玉県生まれ。小中学校時代は陸上部。杉戸農業高に入学後、自転車競技を始める。明治大学4年時にはアジアカップやインカレ2冠など多くのタイトルを獲得した。卒業後、11年には全日本選手権でチームスプリントとケイリンで2冠を達成。12年、競輪学校に入学。同年10月のW杯、チームスプリントで日本女子初の銀メダルを獲得した。競輪学校では57戦52勝と在校成績1位。卒業記念では全勝し、完全優勝を果たした。13年5月にプロデビュー。9月のガールズケイリンコレクション(GKC)京王閣ステージを制覇するなど、デビューから12連勝を達成した。同年は年間最多タイ優勝回数(12)に加え、38戦34勝で最高勝率(89.79%)を誇るなど3部門でトップの成績を収めた。ガールズケイリンの年間最優秀選手賞に選出された。今年3月にはGKC名古屋ステージを制した。得意な戦法は捲り追い込み。身長160センチ。
(文・写真/杉浦泰介)
(このコーナーでは、当サイトのスタッフライターがおすすめするスポーツ界の“新星”を紹介していきます。どうぞご期待ください)