6年後に迫った東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、さまざまな取り組みが始まっています。そのひとつが、パラリンピック選手発掘事業です。2020年東京パラリンピックで活躍が期待できる金の卵を探そう、というわけです。この事業を行うにあたり、障がいのある若い人たちとパラリンピックの出会いの場を、特別支援学校や障がい者スポーツセンターだけでなく、広く社会全体へと広げていきたいと考えています。なぜなら2020年東京パラリンピック開催をきっかけに、パラリンピックを国民的ムーブメントへと押し広げたいという思いがあるからです。だからこそ、選手発掘事業も一般社会にどんどん広げたいのです。
(写真:東京パラリンピックで金メダルを目指している池田選手)
 今日、パラリンピックは世界的に超エリートスポーツ化しています。また、日本では今年4月からオリンピックと同じ文部科学省の管轄となりました。このことからも、もはやパラリンピックは障がい者スポーツ界、障がい者のコミュニティの中だけに留めておくことはできなくなりました。オリンピックやサッカーW杯などと同じく、国民的スポーツイベントのひとつとしてとらえる時代となったのです。そこで、パラリンピック選手の発掘事業もまた、国をあげての事業として、みんなで一緒になって行なっていけたらと考えています。

 確かに、日本でも障がい者スポーツやパラリンピックの認知度は高まってきています。パラリンピック選手のパフォーマンスを見て、そのレベルの高さに驚き、感動を覚える人も増えています。しかし、オリンピックのように、本当に自分たち日本の代表として感じられている人はそう多くはありません。たとえパラリンピックでメダルを獲ったとしても、結局は別の世界の人。「別世界に、すごい人がいるんだなあ」と感じているだけではないでしょうか。それはなぜなら、これまで障がい者スポーツは「する」「観る」「支える」という3つの要素において、すべてが障がい者スポーツの世界、障がい者のコミュニティの中で完結されていたからにほかなりません。

 つまり、障がい者スポーツ関係者が、障がい者コミュニティという閉じられた中で選手を探し、強化し、世界の舞台へと送り出してきた。一般の人たちはそれを外から見ていただけだったのです。それでは、国民全体がパラリンピックを盛り上げているとは言えません。そこで、まずは発掘するところから、一般社会へと広げていきたいのです。というのも、普通小学校・中学校、あるいは地域のスポーツクラブなどにも、未来のパラリンピアンが潜んでいる可能性は決して小さくはないからです。

 実在する一般社会に隠れた金の卵

 例えば、2010年バンクーバーパラリンピックの金メダリスト、クロスカントリースキーの新田佳浩選手。彼は、3歳の時に事故で左腕を切断しましたが、小学校、中学校時代には一般のスキー大会に出場。中学2年の時には、全国中学校体育大会にまで出場するほどの選手でした。見ていた人が、まさか片腕だけのストック一本で滑っているとは思わず、「どこかでストックを落としてしまったんだろう」と、健常者と見間違えるほどバランスよく滑っていたそうです。その新田選手の噂を聞きつけたのが、現在彼が所属する日立ソリューションズスキー部の荒井秀樹監督でした。荒井監督がご両親を説得し、新田選手をパラリンピックの世界へと導いたのです。つまり、新田選手は荒井監督との出会いがなければ、パラリンピックの世界には飛び込んではいなかったかもしれないのです。
(写真:選手団の主将として出場したバンクーバーパラリンピックで金メダルに輝いた新田選手)

 実は、今月5、6日に東京・町田市立陸上競技場で行なわれた関東身体障害者陸上競技選手権で、パラリンピアンの姿を見て憧れを抱き、パラリンピックを目指し始めた選手と出会いました。18歳の池田樹生選手(T44)です。池田選手はもともと運動が大好きで、小学校時代には地域のサッカーチームに、中学校ではバスケットボール部に所属し、健常の友人と一緒にスポーツをしてきました。その池田選手が中学3年の時に知ったのが、パラリンピアンの山本篤選手。山本選手は北京パラリンピック走り幅跳びで銀メダルを獲得し、義足選手としては日本人初のメダリストとなりました。その山本選手の走り幅跳びで踏み切りの瞬間をとらえた写真を見て憧れを抱き、池田選手は陸上を始めたのだそうです。今では東京パラリンピックでの金メダルを目指して頑張っています(「走れ! いいじまくん」)。

 新田選手も池田選手も、最初から障がい者スポーツ界にいたわけではなく、健常者と一緒にスポーツをしていた中で、パラリンピックやパラリンピアンの存在を知ることで目指し始めたのです。このことからもやはり、パラリンピックにおける金の卵が、一般社会にも存在することは明らかです。

 例えば、「あなたの学校やクラブに、他の人たちと一緒にスポーツを頑張っている、障がいのある人はいませんか?」と、全国の小学校、中学校、高校、大学、地域のスポーツクラブへの呼びかけを行なってはどうでしょうか。その呼びかけを機に、本人や、先生、指導者、あるいは地域の人の中に「あれ、そういえば、あの選手ならパラリンピックを目指せるかもしれない」という人が出てくるかもしれません。その視点を持つだけで、学校や地域スポーツクラブの人たちのパラリンピックへの意識が大きく変わるはずです。また、自分たちの学校や地域から世界に羽ばたいたとなれば、さらに興味を持って、自分たちのこととしてパラリンピックを捉えることでしょう。つまり、選手発掘活動を障がい者のコミュニティだけに任せておくのではなく、一般社会にも広げることこそが、国民全体でパラリンピックに向かうことなのです。

 パラリンピックや障がい者スポーツを、別世界だと特別視する時代はもう終わりました。これからは国民全体のこととしてとらえ、一大ムーブメントとする。2020年東京パラリンピックを控えた日本には、そんな好機が訪れているのです。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障がい者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障がい者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障がい者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障がい者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障がい者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。

(写真撮影:阿部謙一郎)