広島のベテラン前田智徳が打席に立つとスタジアムの空気は一変する。4月16日の中日戦では、9回裏1死満塁の場面に代打で登場。浅尾拓也の変化球を巧みにはじき返し、サヨナラヒットを放った。昨年は故障の影響で1試合も公式戦出場がなく、今季は選手生命を賭けた戦いが続いている。天才と呼ばれてきた男の真実に二宮清純が迫った。
 カウント1ストライク2ボール。甘いボールではなかった。内角高め、152キロのストレート。ハマの守クローザー・山口俊が渾身の力を込めて投じた快速球を前田智徳は会心のスイングで仕留めた。
 打球は快音を発してライトスタンドへ。通算2072安打目となる686日ぶりのアーチは「天才」の復活を十二分に予感させるものだった。

 4月11日、横浜スタジアム。試合後の前田はいつものように無言だった。
 余計なことは一切しゃべらない。みだりに笑顔を見せない。ファンやメディアに媚びない。それがこの男の流儀である。
 若い頃から「孤高の天才」と呼ばれてきた。そもそも前田智徳とは何者なのか?

 三冠王を3度獲得した落合博満(現中日監督)は評論家時代、<今の日本球界に、オレは2人の天才打者がいると思っている。1人がオリックス・イチローで、もう1人が前田なんだ>と前置きし、こんな持論を展開している。
<分かりやすくいえば、前田は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康タイプ。「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」の秀吉タイプが、イチローだ。
 つまり前田は、いかにしてボールを自分のポイントまで呼び込んできて、自分の形で打つかという打撃のお手本。イチローは、そこへボールが来ないなら、自分が体を寄せていってそのポイントで打つという打撃なんだな。
 前田の打撃はプロ野球50年の歴史の中で、ずっと理想とされてきたフォームともいえる。みんながお手本にしていい、生きた教材なんだ>(日刊スポーツ99年2月27日付)

 前田が広島に入団した当時の監督、“ミスター赤ヘル”こと山本浩二の目に若武者はどう映ったのか。
「最初のキャンプは2軍でスタートした。まず何よりユニホームの着こなしが気に入った。こういう選手は成功するんです。
 バッティングを見て、もっと驚いた。トップの位置がピタッと決まっていて軸がブレない。フォームも崩れない。相手ピッチャーに関係なく、全て自分のスイングでボールを処理している。だから、打球は詰まってもヒットになる。技術的には何も教えることがなかった。こういう子を天才というんだと思いましたね」

 球界屈指の打撃技術を誇りながら、前田は1度も首位打者に輝いたことがない。通算打率は3割(4月14日現在、3割3厘)を超えるが、これとて上には上がいる。6000打数以上での最高打率は若松勉の3割1分9厘。
 にもかかわらず、1990年代から2000年代にかけて活躍したセ・リーグのエース級は「最強打者は前田」と口を揃える。他の名だたるスラッガーと比べても、前田だけは別格だと。

 まずは元中日・今中慎二の証言。前田が打率3割1分7厘を記録した93年、今中は17勝をあげ、沢村賞などのタイトルを総なめにしている。
「僕の中で特別な存在は前田と落合さんのふたりだけ。特に前田は同年代(今中が学年では1つ上)ということもあって強烈に意識しました。こっちは気負って目いっぱい投げているのに、前田は余裕を持ってボールを見逃す。いつも“どうぞ、いらっしゃい”という感じなんです。
 そこで、こっちはさらにムキになる。一度、審判から“なんで前田の時だけムキになるんだ?”と聞かれたことがあります。
 特にランナーがいる時の集中力は凄かった。“ヒットなら仕方がない”と諦めにも似た気持ちで投げていました。僕を“コノヤロー!”という気分にさせたのは後にも先にも彼だけですよ」

 続いて東京ヤクルトの1軍投手コーチ・伊藤智仁。前田より1学年上。93年、7勝2敗、防御率0.91で新人王を獲得。短命に終わったが、「真横に滑る」と言われた“高速スライダー”の切れ味は今でも語り草だ。
「僕が対戦したバッターではナンバーワン。バットコントロールが天才的で全く弱点がなかった。
 僕のノーヒットノーランを阻止したのも前田だった(93年6月22日、神宮)。7回1死までノーヒット。ここで迎えたのが前田。(キャッチャーの)古田敦也さんは“ワンバウンドでもいいから”と僕にフォークのサインを出した。見逃せばワンバウンドになるところを拾われ、ライト前へ。本気になった前田には、どんなボールも通用しなかった。顔色やしぐさで“こいつ、ヤバイな”と分かるんです。
 松井秀喜? 高橋由伸? 彼らもいいバッターだけど、“ここに投げたら絶対に打たれない”というコースがあった。でも前田にはそれがなかった。どのコースも、どんなボールもバットの芯でとらえる技術を持っていました」

 元巨人の槙原寛己は94年5月18日、広島相手に完全試合を達成した。この日、前田は左肩亜脱臼でベンチから外れていた。
「後で思いましたよ。アイツがいなくてラッキーだったなって。だってヒットだけでいいんだったら、いつでも打ちそうじゃないですか。真ん中のボールは平気で見逃すくせに、難しいボールは確実にヒットにする。乗っている時と乗っていない時とで、あれほど差のあるバッターもいなかった」

 前田は自分が留守にしているゲームで大記録を打ち立てられたことを随分、気にしていたようだ。この2カ月後、ケガから復帰した前田はリベンジとばかりに槙原からバックスクリーンへの大アーチを見舞う。
 試合後のインタビューで珍しく前田は本音を口にした。
「(槙原さんが投げてくるというので)勝負をかけていた。普通とは違った緊張感がホームランにつながったと思います」

 球界の宮本武蔵――。
 デビュー以来、私は前田にそんなイメージを抱き続けてきた。常にピッチャーとの対決は斬るか斬られるか。カクテル光線を浴びてバッターボックスに刻まれるシルエットは、まるでユニホームを着た剣豪だった。

 以下は元広島のサウスポー・川口和久から聞いた話。
 対ヤクルト戦。マウンドには、ある技巧派のサウスポー。前田用のワンポイント・リリーフだった。バットを1度も振ることなく見逃し三振を喫し、怒ったような表情でベンチに戻ってきた前田に川口は訊ねた。
「なんで振らないんだ?」
「あんなのピッチャーじゃない。バットを振る気にならんのです」

 振り返って川口は語る。
「彼らしいな、と思いましたよ。前田には独自の美学があって、“こんなボール、打つに値しない”と思ったんでしょう。
 彼はホームランを打ってもブスッとしていることがよくあった。“うれしくないの?”と聞くと、“今のはとらえ方がマズかったですね”と言ってうつむいてしまう。
“まぁ、いいじゃないか。ホームランなんだから”と慰めると“いや、そういうもんじゃないんです”と、こうですよ。逆に凡打に倒れてもニコニコしている時があった。彼の中では満足できる何かがあったんでしょう」

(後編につづく)

<この原稿は2010年5月1日号『週刊現代』に掲載されたものです>