日本プロ野球において、金田正一の400勝、王貞治の868本塁打とともに今後、更新される可能性が低い不滅の金字塔がある。それが福本豊の通算1065盗塁、シーズン106盗塁だ。福本はピッチャーの牽制のクセやタイミングを研究し、走りに走りまくった。この足を封じようと当時、南海のプレーイングマネジャー・野村克也が考案したのがピッチャーのクイックモーションである。今や、その技術は野球界に欠かせないものになっている。日本のプロ野球に革命を起こしたとも言える福本に二宮清純が話を訊いた。
(写真:先日亡くなった西本幸雄元監督からは「後のバッターのことを考えて早く走れ」と指導を受けたという)
二宮: 現役時代、たくさんのバッテリーから盗塁を奪いましたが、一番走りにくかったキャッチャーは?
福本: 阪神から近鉄へやってきたヒゲ辻(佳紀)さんですね。捕ってから送球までがポンポンとものすごく速い。最初は結構、死にました。でも、データを調べてないから分かりませんけど、一番殺されているのはノムさん(野村克也)でしょう。

二宮: 野村さんは現役時代、お世辞にも肩が強かったとは言い難かった。本人も「“弱肩野村”“フリーパス野村”と新聞に叩かれた」とボヤいていました。
福本: でも、ノムさんは僕を殺すためにいろんなことを考えて工夫していた。そして、ついにクイックモーションを見出した。しばらくはなかなかスタートが切れなかったですよ。

二宮: それまでのプロ野球では早いタイミングで投げるピッチャーはいなかったのですか?
福本: あまりいなかったですね。それまでは牽制がうまいピッチャーはいましたけど、モーション自体が小さくて早いのはノムさんの時の南海が最初です。足を上げて投げてくれるとタイミングをつかむのがラクなのに、ほとんどスリ足の状態で放ってくる。思い切ってスタートを切っても殺されるケースが増えました。

二宮: パ・リーグの強肩捕手といえば、梨田昌孝さんが有名でした。梨田さんとの対決は?
福本: あまり死んだ記憶はないですね。肩が強い分、僕も気合の入り方が違ってたかもしれんけど、近鉄はピッチャーのクセが割と分かりやすかった。盗塁を許すのはピッチャーの責任が7割、キャッチャーが3割。スタートさえうまく切れれば、いくら早く投げてもアウトになりにくい。梨田は僕が打席に入ると「福さん、勝負!」と言って話しかけてきましたよ。「おう、分かった」「じゃあ、1球目で走ってください」「いいけど、ウエストすんなよ」と話をして1塁に出たら、約束通り1球目に走る。そしたら、アイツ、ウエストしてきたもんね(笑)。

二宮: それはズルい(笑)。
福本: でも、彼はスローイングの早さ、力強さでは、パ・リーグで一番いいキャッチャーやった。だから、“オレは殺されんぞ”という気持ちが強かったね。彼との勝負はおもろかったですよ。

二宮: スローイングの勢いは走っていても見えるものですか?
福本: アカン時は見えますね。走る時にチラッとキャッチャーのほうを見て、もう放ってたらアウトやから。それでベースの手前で目の前をシャッとボールが通り過ぎる。そういうときはパッとアウトになって帰れるように、手をバンザイして早く滑る。アウトかセーフが微妙な時は思い切って滑り込みますけど、死ぬのが分かっている時はガチャッと野手とぶつかってケガしないようにする。「ゴメンナサイ」って感じですよ(笑)。

二宮: 牽制がうまかったピッチャーは?
福本: 右だと堀内(恒夫)やね。一番うまかったんちゃいますか。似たようなタイプが東尾(修)。彼もいろいろセットに入ってからの時間やリズムをいろいろ変えて牽制してきました。加えてクイックもできるし、クセも出えへん。なかなかスタートが切りにくかったですよ。

二宮: 牽制が上手な投手がクイックも覚えると走るのは大変だったでしょう?
福本: 困りました。でも、そのおかげで僕もまたピッチャーのリズムやセットに入ってからの時間などを研究して、“これや”という走るタイミングを見つけた。それでまた、みんなと違う走りができた。これはノムさんのおかげやね。ノムさんがクイックを考えてくれたからこそ、僕ももっと走ることに対して研究し、勉強できた。賢くなったと今でも感謝しています。

<現在発売中の『文藝春秋』2011年12月号では「プロ野球伝説の検証」と題し、野村さんが福本さんの足を封じた1973年のパ・リーグプレーオフについて取材しています。また同じく発売中の『小説宝石』2011年12月号(光文社)では盗塁やスライディングの極意など、福本さんのさらに詳しいインタビュー記事が掲載されています。こちらも併せてご覧ください>