地球の裏側から、次々と朗報が届く中、インドネシアのジャカルタから、9日、ひとりのパラ・アスリートが帰国した。障がい者バドミントンの鈴木亜弥子である。

 

 8月2日からジャカルタで開かれていたインドネシア国際大会で見事、金メダルを獲得した。メダルの裏には<CHAMPION SU5 WOMEN’S SINGLES>との文字が刻まれていた。

 

 4年後の東京パラリンピックで正式採用される障がい者バドミントンは、現時点では車椅子のWH1、WH2、立位下肢障がいのSL3、SL4、立位上肢障がいのSU5、低身長のSS6の4つのカテゴリー、6つのクラスに分けられている。小さい数字の方が障がいは重い。

 

 鈴木のSU5は立位上肢障がいを表す。生まれた時から右腕が不自由だった。肩より上に上がらず、握力は10キロ程度。そのため右腕は左腕に比べると別人のように細い。苦労するのは移動の時だ。新幹線や飛行機の棚に荷物を置くのには骨が折れる。海外遠征ともなるとなおさらだ。

 

 両親の影響で小学3年生の時からバドミントンに親しんだ。高校では全日本ジュニア選手権でダブルス2位に輝いた。もちろん、これは健常者の選手に交じっての記録である。大学では体育会のバドミントン部に所属した。

 

 障がい者バドミントンに転向したきっかけは、養護学校に勤務していた父親のアドバイス。立位上肢障がいの場合、コートの広さもネットの高さも健常者のそれと同じであるため、戸惑いは一切なかった。

 

 この競技の第一人者になるのに時間はかからなかった。10年アジアパラ競技選手権大会で優勝したのを最後にラケットを置いた。「バドミントンの人生しか歩んでこなかったので、それ以外のこともやりたかった」

 

 それがなぜ復帰しようと決めたのか。「パラリンピックの金メダルだけ獲っていないじゃんと思った…」。だが、5年に及ぶブランクは、自らが想像していた以上に体を錆びつかせていた。「すごいハンデを感じています。体力もなくなっていた」

 

 目下、SU5の世界ランキングは6位。復帰からまだ間がなく、国際大会で稼いだポイント数が少ないためだ。同じことは中国勢にも言えるが、鈴木が東京での“隠れ金メダル候補”に浮上してきたことだけは間違いない。

 

<この原稿は16年8月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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