ドラフト会議も終わり来季の戦力も固まりつつあります。それと同時に戦力外通告された選手たちの動向が気になる季節です。全国を飛び回って多くの選手たちに会い、話を聞いていますが、「何をしていいかわからない」「野球以外を考えたことがないから……」「肉体労働しかない」、そんな彼らの声を聞くたびに自分自身の心も痛くなってしまいます。少しでも早くセカンドキャリア問題がなくなることを願って、今回も記事を書かせていただきます。

 

 セカンドキャリア問題を突き詰めて考えると、子供たちに考える訓練をさせない指導者に大きな問題があることがわかります。これはこのコラムでも何度も取り上げてきました。

 

「考える訓練をさせない」のは、野球界が技術指導に傾いてしまっていることも一つの原因です。しかもその技術指導に根拠があり、誰もが納得できるものならいいのですが、残念ながら多くの指導者は根拠を示すことができていません。

 

 根拠が示せない指導に選手は納得できず、そんな練習が結果に結びつかないことは明白です。さらに過去に選手として実績を残した方が教えると「権威の原理」が働いて、正しくないことでも正しいことになってしまう……。それも選手が伸びない原因だとそろそろ気付くべきかもしれません。

 

 今回は技術指導ではない切り口で、指導者が最低限知ってないといけないと思うことを、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

 

 野球を練習しているグランドに足を運ぶと、かなりの頻度で怒号が聞こえてきます。
「こらー!」「何やってんだ!」「アホか、お前は」などなど。そういう指導者の方のほとんどは「選手たちを褒めたらダメ。怒った方が上手くなる」と信じきっています。
 なぜそう思うのですか?と聞くと「褒めたら次のプレーは必ず上手くいかない。怒ると次のプレーはちゃんとできる。だからですよ」と自慢気に話してきます。
 怒ることで選手が伸びる、これは本当でしょうか? 私が知る限り、その指導方法は大きく間違っていると言わざるを得ません。怒る指導がなぜ間違っているのか、それを根拠を持って説明してみましょう。「平均への回帰」という考えです。

 

 まずその選手の平均的な実力を示す直線があると想像してください。頭の中でもいいですし、実際に紙に1本線を引いてもかまいません。選手が指導者から怒られるのはミスをしたときですから、ミスをした=平均以下のプレーとして直線の下に印を付けます。
 ここで「怒ることで選手が伸びる」と信じ込んでいる指導者は「こらー!」「ちゃんとやれー!」と選手を怒鳴り上げます。その後のプレーは大体の確率で平均的なプレーに戻ります。平均として引いた直線部分に印の位置が戻るということです。

 

 ここで重要なのは怒られたから平均に戻ったわけではなく、その選手は実力どおりに普段のプレーをしただけなのです。ミスをすると平均より下に印が付く。怒ると印の位置が上がる(というよりも平均に戻るだけですが……)。そういうことを繰り返していると、「怒ると良くなる」と勘違いしてしまうのです。

 

 逆に褒めるに目を移してみましょう。今度は選手が平均よりいいプレーをしたときは、平均の線よりも上に印が付きます。「おー、今のプレーはいいね」と指導者は褒めます。でもその次に、選手は平均値に近いプレーに戻ります。下手をすると平均値以下のプレーをしてしまうこともあります。
 そうすると指導者は「褒めたらダメだ」「お前は褒めるとうまくできないよな」と思い込み始めます。
 平均より上についた印が平均値に戻るだけで、決して失敗したわけではありません。それなのに指導者の目には「褒めたらダメになった」と映ってしまうのです。

 

 こうして「褒めるとダメ。怒ると良くなる」という錯覚に囚われて、そこから抜け出せなくなり、間違った指導を選手たちにしてしまう……。そんな指導者に教えられた選手たちも、自身が指導者になったときに選手たちを怒ることで良くしようと無駄な努力をしてしまいます。

 

「全てに根拠を持つ」。これは自分の持論ですが、根拠は裏切りません。自身の感性を選手に伝えることが指導者の仕事ではなく、選手たちが一流になりたいと思う気持ちを支援することこそ指導者の仕事なのです。そのために大切なのは、すべてに根拠を持つことです。

 

 今回の「平均への回帰」を知ることで「怒ると伸びる、良くなる」という説が間違いだと理解できたのではないでしょうか。自分で理解すればその間違いを他の指導者にも根拠を持って説明できるようになります。こうしたことの積み重ねが自身の指導方法の自信となるはずです。指導者のみなさんもこうしたことを一緒に学んで、野球界を良くしていきましょう!

 

1600314taguchi田口竜二(たぐち・りゅうじ)
1967年1月8日、広島県廿日市市出身。
1984年に都城高校(宮崎)のエースとして春夏甲子園出場。春はベスト4、夏はベスト16。ドラフト会議で南海ホークスから1位指名され、1985年に入団し、2005年退団。現在、株式会社白寿生科学研究所人材開拓グループ長としてセカンドキャリア支援を行なっている。

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