70年代から80年代にかけて、「TVジョッキー」という番組があった。司会は土居まさる。なかなかの人気番組で11年も続いた。その中に「奇人・変人」というコーナーがあった。風変わりな芸を披露した者には白いギターが与えられるのだ。ギター欲しさに無茶をする者もいて、しばしば物議をかもしていた。


 久し振りに「奇人・変人」という文字を目にした。東京五輪代表を率いることが決まった前広島監督の森保一に対し、サッカー協会技術委員長の西野朗が「奇人・変人だと思われる方が成功に結びつく」と型破りなアドバイスを送ったのだ。これは自身の経験を踏まえてのものだ。28年ぶりの五輪出場となった96年アトランタ大会。ブラジルを撃破するなど大きな成果をあげた背景には協会への過激要求があった。「この監督はちょっとおかしいんじゃないか」。本人が言うのだから間違いあるまい。森保への“奇人・変人のススメ”は西野流の気遣いだろう。


 しかし、「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように、人間の性格は齢を重ねたからと言ってそうそう変わるものではない。彼を初めて取材したのは初代表入りを果たした23歳の時だ。掲載誌を送るとお礼の手紙が届いた。広島の監督就任をキャンプ地で祝うと「まだ名刺ができていません」と頭を下げた。こちらが恐縮したのは言うまでもない。マツダ時代のGM今西和男の“人間教育”の賜物だろう。


 ある会合に呼ばれて広島で講演をした時のことだ。ばったりホテルで森保にでくわした。せっかくだから懇親会で挨拶してもらえないか、と頼むと、少し時間をくれ、という。おそらくその間に考えをまとめていたのだろう。誠に時宜を得た挨拶で「さすがに日本一の監督は違う」と随分、お褒めの言葉を頂いた。


 私が知る限りにおいて、森保は個性がそのまま服を着て歩いているような人たちの集まりであるスポーツ界において、珍しいほどの「常識人」である。これも、また個性ではないか。


 常識人とはいっても従順な能吏型ではない。筋は曲げない。柔らかい物腰の森保が一度だけ「違います」と語気を強めたことがある。ある選手のことを私が「天才」と呼んだら、言下に否定された。「この世界には“天才もどき”が多い。その気にさせてはいけません」。あれ以来、極力「天才」という言葉を使わないようにしている。

 

<この原稿は17年11月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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