(写真:花道を通る山中<中央の赤いガウン>に声を掛ける本田会長)

 1日、ボクシングのダブル世界戦が東京・両国国技館で行われた。WBC世界バンタム級タイトルマッチは同級1位の山中慎介(帝拳)が前王者のルイス・ネリ(メキシコ)に2ラウンドTKO負け。昨年8月に失ったベルトを取り戻すことはできなかった。一方、ネリは前日計量でウエイトオーバーの過失を犯しているため同級王座は空位となった。IBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチは王者の岩佐亮佑(セレス)が同級13位のエルネスト・サウロン(フィリピン)に判定勝ちを収め、初防衛した。

 

 万雷の拍手と無数のフラッシュ。山中は最後の花道を通る。しかし、それを用意されたのは勝者にではなく敗者に向けてのものになってしまった。WBC世界バンタム級を12度防衛した男は再び緑のベルトを腰に巻くことはできなかった。昨年8月の京都に続き、またしても星は黒く塗り潰された。

 

 リベンジに燃えていた山中。その溢れんばかりの闘志は火を見るよりも明らかだった。2月27日に行われた調印式での眼光は鋭く、この一戦に懸ける並々ならぬ想いを窺わせた。

 

(写真:“神の左”は不発に終わった山中)

 ところが前日に水を差される。前日計量でネリが体重オーバー。バンタム級のリミット(52.16kg以上53.52kg以下)を遥かに上回った。1度目に体重計に乗った際に2.3kgオーバーと宣告されると温厚な山中が「ふざけるなよ」と声を荒げた。

 

 2時間後の再計量でも落としきれずネリは王座を剥奪された。これで山中が勝てばベルトを手にし、敗れれば王座は空位となることが決まった。

 

 この日の東京は爆弾低気圧が激しい雨と強い風をもたらした。春の嵐は午前中で去ったが、両国にはどこか不穏な空気が滞留していた。

 

 久し振りの青コーナーに立つ山中。長年セコンドに付いていた盟友・大和心トレーナーはリング脇で山中を見守っていた。どこか違和感を覚える風景があった。

 

 山中の入場時には歓声で迎えた観客も、この男の入場には大きなブーイングを浴びせた。イギリスのロックバンドQueenの『We Will Rock You』に乗ってリングへ向かうネリを歓迎する者はいなかった。完全にヒール役と化した前チャンピオン。多くの取り巻きを従え、その役回りも板に付いていた。

 

 ゴングが鳴ると、距離を詰める山中。フィニッシュブローの“神の左”に加え、絶妙な距離感が彼の武器だ。だが、ここ数試合はその間合いに狂いが生じているようにも映った。

 

 1ラウンド終盤にリング上で崩れる。ここはスリップととられたが再びリングに倒れる。ダウンーー。レフェリーがカウントを数える。どこか視線が落ち着かない。このラウンドはなんとか耐えたが劣勢で終えた。山中はなぜか赤コーナーに一度戻りかけた。

 

(写真:陣営と共に歓喜に沸くネリ。だが2度目の来日で王座と信頼を失った)

 そして幕切れはやってきた。山中は2ラウンド序盤に倒れると、続けてダウンを喫した。このラウンド3度目の尻餅をつくと、レフェリーが両手を左右に振った。コーナーによじ登り雄叫びを上げるネリ。山中のキャリア2度目の敗北が決まった。

 

 リンク上で涙を浮かべながら四方八方に頭を下げた。山中を責める者はいない。むしろやりきれなさだけが会場を充満していた。

 

「もちろんこれが最後。これで終わりです」

 山中は試合後の控室でも涙を流した。2006年1月にデビューしてから12年の歳月が経った。戌年生まれの戌年デビューの男が奇しくも戌年に現役引退を表明した。

 

 帝拳ジムの本田明彦会長は「こんなに良い人間のボクサーはいない。一番です。素質のある選手じゃなかったが努力でここまできた」と山中を評する。

 

(写真:半年ぶりの再戦もリベンジ果たせず。試合後に引退を発表した)

 強さだけでなく、その真面目な人間性で愛されてきた。「デビューした時は僕からチケットを買ってくれたのは20人でした」(山中)。この日の両国には8000人を超える観客が詰めかけた。

 

 リングを去る山中に降り注いだのは座布団ではなく「ありがとう」の声だった。「『ありがとう』はこっちの方です。皆さんには感謝しかない」。双方が望むフィナーレにはならなかったが、この負けで彼の積み上げてきたものが消え去るわけではない。

 

(文・写真/杉浦泰介)