節目の10シーズン目を終えた四国アイランドリーグPlusから、今年は4選手が10月のドラフト会議で指名を受け、NPB行きの夢を叶えた。東京ヤクルト4位の寺田哲也(香川)と、東北楽天5位の入野貴大、中日8位の山本雅士(ともに徳島)、巨人育成1位の篠原慎平(香川)である。NPBでのさらなる飛躍が望まれる指名選手から、今回は篠原のアイランドリーグでの成長ぶりを紹介する。
(写真:入団発表では「1日でも早く東京ドームで投げられるように頑張る」と宣言した)
 11月23日、東京ドーム。ファン感謝イベントのジャイアンツ・ファンフェスタ内で行われた入団発表。篠原は「001」の背番号がついた巨人のユニホームを満員のファンの前でお披露目した。
「いや〜、しびれました」
 念願のNPBのユニホームに袖を通した感想を篠原はこう表現した。短い言葉ながら、そこには紆余曲折を経て、ようやくたどり着いた舞台への万感の思いが凝縮されていた。

「僕は1回、死んだ身だと思っています。今の僕は新しい自分なんです」
 そこまで言い切るほど、彼の野球人生は波乱万丈である。速球派右腕として、愛媛・川之江高では2年夏にベスト4。甲子園出場、そしてプロ入りを期待されながら、部内の不祥事に巻き込まれ、高校を中退せざるを得なくなった。

 それでも野球を続けたいと、地元球団の愛媛へ。1年目(2008年)から19試合で4勝3敗、防御率3.36の成績を残し、チームは後期優勝を果たす。高校時代から注目されていた右腕だけに、NPBのスカウトは篠原をマークしていた。

 だが、ここでルールの壁が立ちはだかる。NPBから示された「独立リーグ選手に関するドラフト会議での扱い」にある「高校を中退した選手は3シーズン経過しないと対象とならない」との規定だ。高校中退扱いの篠原は3年間、リーグでNPB入りを待たなくてはならなかった。

 指名対象となる3年目、篠原は順調なスタートを切る。開幕前のNPB2軍戦でも好投をみせ、公式戦では5月までに完封勝利を含む3勝をあげた。ところが……。篠原はこの頃から肩に痛みを感じるようになっていた。
「それまでは野球をやっていて大きなケガをした経験がありませんでした。NPBに行ける手応えがあったので、離脱して評価を下げたくない。痛いとは言っていられなかったんです」

 しかし、痛みはどんどん増していく。ついには10メートルもボールが投げられなくなった。無念の戦線離脱。いろいろ手を尽くして早期復帰を模索するも、状況は好転しなかった。熱視線を送っていたスカウトたちは潮が引くように姿を見せなくなった。

 病院での診断結果は右肩関節唇の断裂。斉藤和巳(元福岡ソフトバンク)ら多くのピッチャーを引退に追い込んだ重傷である。
「手術をしても投げられるかどうかわからない。でも、手術をしなきゃ投げられない。それなら、やるしかないと決心しました」
 この年のオフ、篠原は右肩にメスを入れる。やっと苦しみから解放される――。その望みは手術後、儚くも打ち砕かれた。むしろ、手術は苦難の序章に過ぎなかった。

 ボールを握るまでに3カ月、キャッチボールができるまでは、さらに3カ月を要した。シーズンがスタートし、周りの選手たちは試合や練習ではつらつと動いている。それが一層、若者の心を痛めつけた。

「地獄のような日々でした」
 当時を篠原は振り返る。
「こんなことで本当に復帰できるのかなと弱気になりました。もう野球を辞めよう、辞めたい。毎日、そんなことばかり考えていました」
 
 それでも、ギリギリのところで“辞められない”と踏みとどまる自分がいた。
「高校でも挫折を経験して悔しい思いをしました。アイランドリーグに来て、NPBに行けると思ったら、また挫折。だから“こんなところで終わってたまるか”という気持ちが最後の最後で上回ったんです」

 1年を棒に振り、実戦に復帰したのは12年5月。兵庫県・鳴尾浜球場での阪神2軍との交流戦で1イニングを投げた。「球速うんぬん、コントロールうんぬんではない状態でした」と語るも、復活への第一歩を記した。そのはずだった。

 しかし、以降も右腕が公式戦のマウンドに上がることはなかった。「試合で投げないと調子は上がってこない」と考えていた篠原に対し、首脳陣は、まだ実戦で使える状態ではないと判断していたのだ。育成を目的としたリーグであっても、プロである以上、監督、コーチには勝利も求められる。結局、この年も公式戦登板はなかった。

「このままでは終わってしまう」
 篠原は自由契約の道を選択する。とはいえ、2年もまともに投げていないピッチャーに声をかける球団はどこもなかった。一縷の望みをかけて、篠原はリーグ入りを志す選手たちと一緒にトライアウトを受験した。
「自信はなかったですけど、とにかく投げているところを実際に見てもらいたかったんです。もう、その日にすべてをかけるつもりで練習しました」

 トライアウト当日、ピッチャーを担当する香川の伊藤秀範コーチ(元東京ヤクルト)は、必死に投げる篠原のフォームが気になっていた。
「痛めた右肩をかばうあまり、左肩が開いてしまう。ものすごくヘンな投げ方になっていたんです。本当は試験官がアドバイスしたらダメなんでしょうけど(苦笑)、肩の開きを抑えるように伝えました」
 
 すると、どうだ。ストレートの球速が142キロを記録した。
「もともとのポテンシャルは高い。ちゃんとやれば復活するかもしれない」
 そう判断した伊藤コーチと西田真二監督(元広島)は香川で練習生として採用することを決めた。

 肩に負担のかからないフォームを修正し、翌13年、篠原は選手登録され、3年ぶりに公式戦のピッチャーズプレートを踏んだ。4月24日の高知戦では復帰後初先発で5回無失点。勝利投手にもなった。
「この時の喜び、達成感は果てしなかったですね。やっと戻ってこられた、と……」
 久々に味わう野球ができる充実感。ただ、それは次第に先に進む上でのハードルになっていく。
「本当はNPBに行くことが目標だったのに、投げるだけで良かったと感じている自分がいたんです」

 また投げられなくなるのは嫌。そんな心理を消し去ることができず、無意識のうちに全力投球にブレーキをかけていた。「これではダメだ」と頭では理解していても、体は痛みを忘れてくれなかった。

 23試合で3勝6敗、防御率4.12。復帰を果たしたものの、納得のいく内容と結果ではなかった。
「でも、1年間、投げられて満足というのも正直な気持ちでした。それなら、もう辞めようと思い始めていたんです」
 シーズンラストの登板、篠原は思い残すことがないよう、故障後初めてリミッターを外して投げた。「これで肩がぶっ飛んでもいい」と覚悟を決めた。

 渾身のストレートは自己最速(当時)の147キロを計時。予想以上の速球がキャッチャーミットに突き刺さった。
「しかも、肩は全くおかしくならなかったんです。これは、もっと行けるんじゃないか。自分の中で吹っ切れた瞬間でしたね」

 もう1年――。引退に傾きかけていた篠原は現役を続ける決心をする。迎えた今季、「1イニング限定で思い切って腕を振ってくれたほうがいいボールが投げられるかもしれない」との伊藤コーチのアイデアで抑えを任された。

「みんなの勝ち星をムダにしたくない。そう思うと、1イニングだし、自然と全力投球するようになっていましたね。すると球速も出るようになっていったんです」
 ストレートのMAXは153キロに達した。前期は40試合のうち、30試合に登板。4勝1敗9セーブで、防御率1.40はリーグトップだった。ウワサを聞きつけたNPBスカウトが再び右腕をチェックしに足を運ぶようになっていた。

 肩を故障してからケアには人一倍気をつかう。わずか1イニング、球数にして約15球のために、登板7時間前から肩を動かし、準備した。後期に入ってからは先発も経験し、長いイニングを放るスタミナも示せた。

 シーズンが終盤に突入し、ドラフト会議が近づくにつれ、篠原は寝付けなくなった。ラストチャンスでNPBに手が届きそうなところまでは来た。ただ、手応えは全くなかった。
「アピールする場も、あと数回しかないと思うと不安になりましたね」
 ベッドで目を閉じても、「どうなるんだろう」と思い始めるとなかなか眠れない。当日までは熟睡できない日々が続いた。

 運命の10月23日、テレビ画面の前でチームメイトや関係者とともに篠原は朗報を待った。まず隣に座っていた寺田が東京ヤクルトから指名を受け、全員が沸いた。しかし、自らの名前はなかなか呼ばれない。他の指名選手の名前が次々と出てくる時間がとてつもなく長く感じられた。

 ドラフト会議は育成選手の指名に突入した。
「読売。篠原慎平。香川オリーブガイナーズ」
 画面に名前が表示され、司会者から読み上げられた瞬間、脳裡には高校を中退し、リーグに来てからの7年間が走馬灯のごとく一気に駆け巡った。涙が自然とあふれ出た。

 育成指名とはいえ、幾多の試練を乗り越えてのNPB入り。“見事な復活劇”と周囲は右腕を評する。だが、本人は、その表現には首をひねる。
「確かに昔も今も速球派で、ピッチングスタイルは変わっていません。でも、僕の中では昔の自分はもういないんです。今年は、もう過去の自分を追い求めなくなっていました。“昔に戻りたい”とか、そういったマイナスなことは一切考えない。意識の変化もプラスに働いたと感じています」

 一度、灰になって生まれ変わる不死鳥のごとく、どん底から輝く世界に羽ばたく。
「いろいろな経験をして、体も心も強くなりました。これは誰にも負けない武器です」
 24歳はそう言い切る。「でも」と言葉を遮り、篠原はこうも続けた。

「過去は過去。これからが本当の勝負です。入って満足したら終わり。終着点ではないことは自覚しています」
 支配下登録、1軍登板、初勝利……そして巨人の主力投手へ。不死鳥が舞い上がる空は果てしなく広がっている。 

>>ヤクルト4位・寺田(香川)編はこちら(「神宮つばメ〜ル」のコーナーより)
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(石田洋之)