第824回 日本ハムに球団買収を促した男
日本ハムファイターズが本拠地を東京(東京ドーム)から札幌(札幌ドーム)に移転し、正式名称を北海道日本ハムファイターズと改めたのは2004年のシーズンからである。
主催試合の入場者数は前年の131万9000人から161万6000人に増加した。
移転3年目の2006年、トレイ・ヒルマン監督の下、リーグ優勝・日本一。翌07年にもリーグ優勝を果たし、北海道での地歩を築いた。
日本ハムの躍進は続く。09年には梨田昌孝監督の下でペナントを奪回、指揮官が栗山英樹にかわった12年にもリーグ優勝、16年には、札幌移転後2度目の日本一を達成した。
北の大地で、球団はさらに野心的な挑戦に乗り出す。収益面で課題を抱える札幌ドームに見切りをつけ、23年、北広島市に民設民営のエスコンフィールドを開業するのである。
それにより主催試合の入場者数は、前年の129万1495人から188万2573人に急増した。昨年は207万5734人。今シーズンは223万2364人に達している。
しかし、時代が進むにつれ、井戸を掘った人物、すなわち球団の初代オーナー大社義規に、日拓ホームからの球団買収を促した人物について語られる機会は少なくなってきた。
その人物とはオーナーと同郷の香川県出身で、1950年代から60年前半にかけて西鉄の主砲として鳴らし、日本ハムの初代監督も務めた中西太である。
<オーナーと中西君の実家が近かったこと、中西君の親孝行ぶりに、オーナーが感心して親しく付き合いはじめた人間関係が伏線だった。中西君が、「ひとつ野球チームを持ったらどうです」と持ちかけたのがそもそものはじまりだ>(『風雲の軌跡』三原脩著、ベースボール・マガジン社)
知将の異名をほしいままにした三原も香川県出身で、中西の義理の父親だ。日本ハムの初代球団社長も務めた。縁は異なもの味なもの、である。
<この原稿は2025年10月13日号『週刊大衆』に掲載されたものです>
