第294回 「ヒラノのプレーが忘れられない」 ~ホルヘ・ヒラノVol.29~
1986年4月27日、ホルヘ・ヒラノの所属するクルービ・ボリーバルはリベルタドーレス杯グループリーグ初戦でホルヘ・ウィステルマンと対戦した。
試合開始から主導権を握ったのはボリーバルだった。ウィステルマンは押し込まれながらも前半は耐えた。均衡が破れたのは後半19分。センターバックのエルウィン・セスペデスがボールを持ち込み、センターフォワードのフェルナンド・サリナスにパス。サリナスから右サイドのダビド・パニアグアへ。パニアグアが中央のサリナスにクロスボールを上げた。サリナスはシュートを打ち損なったが、こぼれ球をセスペデスがシュート。1対0。さらに後半37分にサリナスが追加点を挙げて試合を決めた。
左サイドに入ったヒラノはフル出場しているが、得点には絡んでいない。
ボリーバルのホペイロ——用具係だったオスカル・モンテスは、ヒラノが高地の順応に苦しんでいた姿を覚えている。
「ラ・パスにやってくる外国人選手はみな、高地順応に苦労する。コーキ(ヒラノの愛称)も最初、全く慣れなかった。トレーニングでも途中で息があがってしまい、最後まで続けることができないこともあった」
4000メートルの場所でプレーすることは本当に大変なんだと、オスカル・モンテスは首を振る。
翌五月、ホームでペルーのウニベルシダ・テクニカ・デ・カハマルカ(以下、U・Tカハマルカ)、ラ・ウーことウニベルシタリオと対戦している。それぞれ2対1、4対0と完勝している。隣国のペルーの選手たちにとってもボリビアの首都ラ・パスの高地は大きな壁となっていた。
ジャーナリストのマルコス・メヒアはこう振り返る。
「前シーズンまでコーキのポジションを務めていたのが、ボリビア人のオスカル・フィゲロアという選手だった。ボリーバルのサポーターたちは、コーキの調子が上がらないので、フィゲロアを戻せと声を上げるようになった」
フィゲロアはヒラノの加入と同時にリトラルというクラブに移籍していた。
そんな中でもヒラノは慌てることはなかったという。
「コーキの耳にはそうした声が入っていただろう。しかし、彼は慌てることはなかった。とても落ち着いているように見えた」
ヒラノの力となったのは、監督のモイゼス・バラックの存在だった。バラックはヒラノを信用して試合に起用し続けた。
ボリーバルは5月18日にウィステルマンとの2戦目に2対1で勝利した後、ペルーでのアウェイゲームに臨んだ。
初のリベルタドーレス杯GL突破
21日、ウニベルシタリオ戦は0対3で敗戦。
この時点でボリーバルは4勝1敗で首位。2位は3勝2敗のウニベルシタリオ、3位は2勝2敗のホルヘ・ウィステルマンと続く。ウィステルマンは1試合少ない。グループリーグ突破は1チームのみ。4敗で最下位のU・Tカハマルカ以外は突破の可能性が残されていた。
ボリーバルは最終節のU・Tカハマルカ戦に引き分け以上で自力突破が決まるという有利な状況だった。ただし、これまでボリーバルはリベルタドーレス杯で、一次リーグを勝ち抜いたことはなかった。そのプレッシャーが選手たちを縛ることになる。
U・Tカハマルカは1964年設立。82年シーズンから1部リーグに昇格していた。前年度、85年シーズンはウニベルシタリオに続く2位に入り、リベルタドーレス杯の出場権を獲得していた。
カハマルカはペルー北部に位置し、標高2750メートルの高地にある。街並は、スペイン植民地時代の面影を濃く残している。本拠地は収容人数1万人強のエスタディオ・エロエス・デ・サン・ラモン。直訳すると、「サン・ラモンの英雄」競技場。これはチリとボリビア、ペルーの同盟軍が衝突した「太平洋戦争」において命を失ったこの街にあるサン・ラモン大学の学生を讃えたものだ。スタジアムには収容人数を超える観客が集まり、U・Tカハマルカの選手を後押しした。
先手を取ったのは、U・Tカハマルカだった。開始5分に先制点、さらに18分に2点目を挙げる。ボリーバルは前半終了直前の44分に中盤のカルロス・アンヘル・ロペスの得点で1点を返す。
前出のマルコス・メヒアはこの試合でも左サイドに入っていたヒラノのプレーが忘れられないという。
「彼の母国であるペルーでの試合ということもあっただろう。この試合のコーキは非常にいい出来だった。彼のプレーがきっかけでボリーバルは引き分けに持ち込むことが出来た」
後半9分、フェルナンド・サリナスが得点を挙げた。試合はこのまま2対2で終了。ボリーバルはクラブ史上初めてリベルタドーレス杯のグループリーグを突破した。助っ人外国人選手であるヒラノは1つのノルマを達成したことになる。
この直後、メキシコでワールドカップが始まった——。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。