第1214回 地域愛に支えられた広島福山“市立旋風”期待
一口に公立高校といっても、国立、都立、道立、府立、県立、市立、町立、村立、組合立と、さまざまな所管形態がある。
1993年のセンバツでは、北海道の町立知内(しりうち)が、春夏通じて初の町立高の甲子園出場ということで話題を呼んだ。
さて昨日、広島大会では、市立福山が名門の広島商を4対3で破り、甲子園初出場を決めた。ライブ配信で試合を見た。優勝直後の小田浩監督のコメントが妙に耳に残った。「チーム福山の皆さまのおかげです」。広島市の人口が約117万人に対し、福山市は約45万人。県内第2の都市で東部・備後の中心とはいえ、県庁所在地の広島市と比べると、やや影が薄い。
歴史的な背景もある。1871年の廃藩置県で備後は一度「福山県」として独立したが、その後、岡山県に合併されたり、広島県に編入されたりと複雑な経緯をたどった。
こうして培われた地域感情を踏まえると「チーム福山」という物言いは、実に興趣に富む。シビック・プライドをくすぐられた市民も多かったのではないか。
甲子園の歴史を語る上で、市立勢の奮闘は欠かせない。春3回、夏1回の優勝を誇る名門・岐阜商。地元では「県岐商(けんぎしょう)」の愛称で親しまれているが、先の4回の優勝は、いずれも市立時代のもの。戦後の学制改革で、県立に移管してからの優勝は、まだ一度もない。なお「市岐商(しぎしょう)」と呼ばれる1969年創立の市立岐阜商は別の学校である。
阪神の藤川球児監督をはじめ、数多くのプロ野球選手・指導者を輩出している高知商も市立。地元では「市商(ししょう)」で通っている。80年には、後に阪神に進む中西清起の力投でセンバツを制した。
蛇足だが、同校出身者には日米通算245セーブの藤川を筆頭に、セットアッパーやクローザーとして名を成した者が多い。先の中西は85年、阪神が21年ぶりにリーグ優勝を果たした際の守護神だ。また、巨人と西武のブルペンを長きにわたって支えた鹿取義隆も同校の出身。主に先発として活躍した江本孟紀も、73年、野村克也監督のもとで南海が阪急とのプレーオフを制した際には、第5戦で火消し役を務め、胴上げ投手になっている。
なぜ同校は守護神の宝庫なのか。ここから先は私見。「土佐の一本釣り」の世界ではないが、来る日も来る日も岸辺に打ち寄せる太平洋の荒波をながめていると、「こんなピンチ、なんちゅうことないぜよ」と肝が座ってくるのではないか。いつだったか、その話を鹿取に向けると、苦笑を浮かべてこう言った。「土佐には“いごっそう”という言葉がある。我が強く、多少、へそ曲がりなところもあるけど、抑えともなると“オレに任せんかい!”という強い気持ちがないと、やっていけませんよ」
さらに言えば67、75年の夏を制した習志野(千葉)、75年の決勝は、新居浜商(愛媛・90年に県立に移管)との市立勢同士の対決となった。また1882年創立の伝統校で「Y校」が通り名の横浜商(神奈川)も、1983年春夏準Vの市立の強豪。私立勢全盛の高校野球にあって、市立勢の動静にも目を配りたい。
<この原稿は26年7月29日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
