第297回 オフ・ザ・ピッチでも認められた理由 ~ホルヘ・ヒラノVol.32~
ホルヘ・ヒラノの所属するクルービ・ボリーバルの選手たちが乗った飛行機は、ボリビアのラ・パスの空港、『エル・アルト』を出た直後、乱気流の中に入った。
この時代、1980年代において飛行機事故は今よりも身近だった。中でもアンデス山脈は鬼門だった。標高の高い場所にある空港、急変する天候という要因があったのだ。
アンデス山脈関係だけで前年の85年1月にボリビアのイリマニ山、7月にコロンビアのレティシア、そしてこの年(1986年)の1月にはブラジルのサンパウロで墜落事故が起きていた。
選手たちの頭にはこうした事故が頭によぎったはずだ。
フィジカルコーチのルイス・オロスコはある選手が「今すぐ、ここに降りろ。コビハだ」と叫んだことを覚えている。
コビハは、ラ・パスから北へ約600キロ、アマゾンの密林地帯のブラジルとの国境の街だ。コビハには小さな空港があった。
「コビハに降りる方が危険だ、このまま飛び続けるとパイロットは叫び返した。激しい揺れがしばらく続いた後、嵐を抜け出したのか、それまでが嘘のように静かになった」
ほっとしたとき、みんなの視点はヒラノに集まった。ヒラノは後部にあるソファで眠り続けていたのだ。
乱気流にも動じなかったヒラノ
ホペイロのオスカル・モンテスはこう振り返る。
「みんな座席で震えて、動けなかったのに、コーキは何事もなかったかのように静かに眠っていた」
動じない男だとみなが一目置いたんだと笑う。
試合会場のオリンピック・パスカル・ゲレイロ陸上競技場には4万人もの観客が詰めかけた。競技場の名前はコロンビアの詩人、パスカル・ゲレイロからつけられている。ピッチの周りに陸上トラックのついたオリンピック規格の陸上競技場だ。
ホームのアメリカ・デ・カリは敗れれば、決勝進出の可能性が消える。勝利しかなかった。
この試合、背番号17をつけたヒラノはフォワードとして先発出場している。
前半は0対0で終了。後半2分、試合が動く。
ボリーバルはペナルティーエリア近くでボールを奪うと素早く前線のヒラノにパスを繋いだ。ヒラノの近くには3人のディフェンダーがいた。1対3の数的不利な状況だ。打開するにはスピードをいかすしかない。ヒラノはファーストタッチでボールを前に蹴り出すと一気にスピードを上げてディフェンダーを置き去りにした。
もう1人のディフェンダーがヒラノの前に入ろうとしたが、ヒラノはその前に右足を振り抜く。ゴールだ。
ヒラノらしい速さを生かしたカウンター攻撃だった。スタジアムは静まりかえった。ヒラノは控え目に喜びを表現した。
因縁の相手
負けられないカリは攻勢に出る。
後半10分、アメリカ・デ・カリの監督、ガブリエル・オチョア・ウリベは、ディフェンダーを1枚削り、アレクサンダー・エスコバルを入れた。
エスコバルは、21歳の若手ミッドフィールダーだった。勢いのある選手を入れて試合の流れを変えるという意図だったろう。
しかし、ボリーバルは粘り強く守る。それどころか、2度の決定機を作ったほどだった。しかし、得点にはならなかった。
すると後半30分、交代出場で入ったエスコバルが勢いよくドリブルで前に進む。
ボールを前線の選手に出すと、彼はダイレクトでヒールキック気味にスペースのある左サイドに流した。エスコバルは一気に加速、ボールを受けてシュート体勢に入る。
エスコバルもまたスピードのある選手だった。2人のボリーバルの選手がついていたが、間に合わない。シュートはゴールキーパーのエウセビオ・アカスーソの脇をすりつけてネットを揺らした。
同点である。
アメリカ・デ・カリは引き分けでも不十分だった。一方、ボリーバルは首位のオリンピア戦を残していた。
試合は残り5分を切っていた——。
アメリカ・デ・カリにはヒラノ、そしてペルー代表にとって因縁の選手がいた。
アルゼンチン代表でもあったリカルド・ガレッカである。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。