村上裕一郎(ENEOS野球部/愛媛県八幡浜市出身)第2回「甲子園への強い憧れ」

facebook icon twitter icon

 村上裕一郎は2001年6月14日、愛媛県南予地方にある保内町でみかん農家を営む村上家の長男(第2子)として生まれた。“一郎”は父方の祖父と曾祖父の名から一字ずつ取った。“裕”は、「穏やかな子に育って欲しい」との両親の願いが込められている。

 

 裕一郎は、その名の通りの性格で、すくすくと育った。同級生と比べ、体格は大きかった。性格は母・亜由美曰く「穏やかで優しい子。いつもニコニコしています」。その大らかで柔らかい雰囲気は、本人をインタビューしていても感じ取れた。

 

「小学校の時はよく学校のグラウンドで遊んでいました」と本人。放課後は近くの山道を走り、時折みかん畑の収穫を手伝っていたという。八幡浜市の自然に恵まれた環境で、裕一郎の足腰は鍛えられていった。

 

 今では社会人野球の名門ENEOSで4番を任されるほどだが、最初から野球少年だったわけではない。幼少期に始めた習い事は、水泳と習字だ。小学2年に始めたのは、ソフトボールだった。

 

 裕一郎の述懐。

「地元のサッカーチームに人が足りないので、借り出されていたんです。そのチームで練習をしている時にグラウンドの反対側で、スポーツ少年団がソフトボールをしていた。“楽しそうだな”と。それがきっかけでソフトボールを選びました」

 

 八幡浜市はソフトボールが盛んなまちだ。同市出身のプロ野球選手、元巨人内野手の河埜和正氏、元ヤクルト投手の山部太氏も小学生時はソフトボールを経験した。

 

 裕一郎は宮内スポーツ少年団に入団すると、すぐにソフトボールの魅力にハマッた。守ってはピッチャー、打っては中軸を任された。

「純粋に打ったり、投げたりが楽しかった」

 5歳から始めた水泳は特進クラスに進める可能性があったものの、ソフトボールに専念するため、小学校高学年で辞めた。

 

 祖父が山で切った竹をバット代わりにして素振りをした。家に帰れば父とキャッチボールを楽しんだ。彰は当時を「練習に行くのが楽しそうで、『行きたくない』と言ったことは一度もありませんでした」と振り返る。

 

 

突然の志望校変更

 保内中学では、軟式野球部に所属した。裕一郎がそこでソフトボールから“卒業”したのは、高校野球、とりわけ甲子園への強い憧れがあったからだ。

「小学4年生の時からテレビで甲子園を見ていました。興南(沖縄)の島袋(洋奨)さんが春夏連覇をしたのが記憶に残っています」

 2010年、興南の左腕エース島袋氏は春夏の甲子園、ほぼ1人で投げ抜く大車輪の活躍でチームを頂点に導いた。裕一郎少年にとって、「1」の背中は、ひと際、まぶしく映った。

 

 宮内スポーツ少年団の同期は軟式野球部に3人も入部したが、野球部員は8人しかいなかった。当然、大会は他校との合同チームで出場した。

 

 裕一郎自身、ソフトボールから軟式野球への転向に苦しんだ。

「ソフトボールだとボールが大きいので、打てていました。しかし、軟式野球では、それと比べるとボールが小さくなり、柔らかくなった。なかなか打てませんでした……」

 

 2年時には、後輩が入ってきて単独チームを組めるようになったものの、保内中では目ぼしい結果を残せなかった。3年時には愛媛県大会に進んだものの、「すぐに負けました」と裕一郎。高校は地元の八幡浜高校を志望していた。中学の野球部仲間も進学予定で「一緒にやろう」という誘いがあったからだ。

 

 しかし、進路志望届を出す間際、裕一郎の気持ちに変化が生じた。1学年上のいとこが通っていた宇和島東の四国大会を応援に行ったからだ。「その試合を見て、“宇和島東に入りたい”と思ったんです」と裕一郎。宇和島東は春夏合わせて甲子園12回出場(当時)の強豪校だ。1988年春の優勝校でもある。

 

 家族には直接、その思いを伝えた。「今まで自分の意思を明確に伝えることがなかったので、ビックリしました。中学時代もスバ抜けていた選手というわけではなかったので、宇和島東で大丈夫かな、という不安もありました」と亜由美。それでも裕一郎に迷いはなかった。猛勉強の末、一般入試で合格した。

 

 エース&4番で甲子園に行く――という夢を抱き、裕一郎少年は宇和島市へと向かった。

 

(第3回につづく)

>>第1回はこちら

<村上裕一郎(むらかみ・ゆういちろう)プロフィール>

2001年6月14日、愛媛県八幡浜市出身。小学2年でソフトボールを始め、中学から軟式野球部に所属した。保内中学-宇和島東校-九州共立大学を経て、24年にENEOS入社。宇和島東3年時には甲子園出場を果たした。福岡六大学野球リーグの九州共立大では3年秋に本塁打王とベストナインを獲得。ENEOSでは1年目から主力として活躍した。都市対抗野球大会で本塁打を放つなど、この年は社会人野球の年間最多本塁打賞(対象大会12試合で5本塁打)を獲得。また9月に開催された「第5回 WBSC U-23野球ワールドカップ」の日本代表として、2本塁打を記録し、チームの大会2連覇に貢献した。長打力が武器の大砲。身長185cm、体重95kg。右投げ右打ち。背番号26。

 

(文・プロフィール写真/杉浦泰介、そのほかの写真/ご両親提供)

 

 

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP