村上裕一郎(ENEOS野球部/愛媛県八幡浜市出身)第3回「甲子園での後悔」
2017年春、村上裕一郎は、愛媛県宇和島市にある宇和島東高校に進学した。当時春夏合わせて12度の甲子園出場を誇る強豪校の門を叩いたのは、小学生の頃から憧れた、甲子園という舞台に立つためだった。
入部してすぐに、レベルの高さに愕然とした。
「中学はどちらかというと楽しく野球をやっていた。部の雰囲気も全然違い、練習もきつかった。最初は練習についていくのも大変で、体重は10㎏ほど痩せました。高校までで野球をやめようかなと思ったほど、きつかったです」
1年秋の新人戦から試合に出られるようになったものの、最初は野手としてである。ピッチャーとしての出番はほとんどなかった。
悪いことに2年春に右肘、右肩を痛めた。休んでもなかなか痛みがとれず、結局、ピッチャーを断念せざるを得なかった。4番・エースで甲子園に立つことを夢見ていた裕一郎にとって、これは大きな挫折だった。
母・亜由美の証言。
「その頃、ちょうど裕一郎が帰省してきました。病院で『ピッチャーを諦めないと野球は続けられない』というようなことを言われたそうです。家から宇和島に戻る時、駅まで送ったのですが、初めてあんなに落ち込んでいる姿を見ました。私は何も言えませんでした……」
3年時の春、宇和島東OBで1997年の春夏甲子園出場メンバーの長滝剛が監督に就任した。就任当初の村上について「身体が大きい子という印象。おとなしい性格だったので目立つ存在ではなかった」と振り返る。
それでも裕一郎の飛距離は魅力だったという。
「練習で飛距離を出せる選手は他にもいましたが、どちらかと言えばブンブン振り回して打球を飛ばしていた。ただ村上に関しては楽に振っているのに、打球はビューッと飛んでいく。ボールを捕らえることに集中すれば、もっといいバッターになるという期待感がありました」
長滝は高校時代、2学年上の宮出隆自、1学年上の岩村明憲と、後にプロ野球で活躍する選手たちとプレーした。
四国から九州へ
「高校時代の岩村さんはセンスの塊みたいな感じの人でした。宮出さんは、どちらかといえば村上タイプ。宮出さんはピッチャーということもありますが、飛ばす力だけで言えば、高校生の時は、たぶん村上の方が上だったと思います」
裕一郎は高校通算本塁打19本のうち、7割以上を高校3年の年に放った。宇和島東野球部のグラウンドは両翼98mで、高さ20mの防護ネットを張っている。ロングティーの練習で裕一郎の打球は、軽々と場外に消えていった。やがて金属バットの使用を禁止された。「結局、木製バットでも場外に飛ばすもんだから、ロングティー自体を『やめてくれ』と指示しました」と長滝。
甲子園出場のラストチャンスとなった3年夏の愛媛県大会。裕一郎は4番・センターとしてチームを引っ張った。ホームランこそゼロだったがチームトップの12安打、打率5割4分5厘でチームの勝利に貢献した。決勝の松山聖陵戦では3回に同点タイムリーを放った。試合は7-3で勝利し、ノーシードの宇和島東は、9年ぶり9度目の甲子園出場を決めた。
初めて踏んだ甲子園の土。だが裕一郎には苦い記憶が刻まれた。初戦(2回戦)の宇部鴻城(山口)戦は5打数ノーヒットに終わった。特に後悔しているのが最終打席だ。
3-7で負けていた9回裏。2死一、二塁のチャンスで打席が回ってきた。初球、真ん中のストレートに手が出なかった。カウント2-3となった6球目。裕一郎の読みはストレート。予想通りの球が来たのだが「三振が嫌だったので、当てにいくバッティングになってしまった」。その結果、力のないスイングでセンターフライに打ち取られた。3-7で試合終了。裕一郎は、最後の打者となった。
「全国大会で打てるバッターになりたい」。大学進学を決めたが、強豪大学からの誘いはなかった。福岡六大学野球の九州共立大学出身の長滝が、同大でコーチを務める同期の中藤雅人に「とにかくコイツは真面目だから、やれと言ったら、何でもやるタイプ。育ててやって欲しい」と頼み込み、裕一郎の打撃映像を送った。
その映像は上原忠監督の元にも届いた。
「長距離砲というより、センター方向中心に打てる、率を残せるバッターだと感じました」
四国から九州へ――。裕一郎の新しい挑戦が始まった。
(最終回につづく)
<村上裕一郎(むらかみ・ゆういちろう)プロフィール>
2001年6月14日、愛媛県八幡浜市出身。小学2年でソフトボールを始め、中学から軟式野球部に所属した。保内中学-宇和島東校-九州共立大学を経て、24年にENEOS入社。宇和島東3年時には甲子園出場を果たした。福岡六大学野球リーグの九州共立大では3年秋に本塁打王とベストナインを獲得。ENEOSでは1年目から主力として活躍した。都市対抗野球大会で本塁打を放つなど、この年は社会人野球の年間最多本塁打賞(対象大会12試合で5本塁打)を獲得。また9月に開催された「第5回 WBSC U-23野球ワールドカップ」の日本代表として、2本塁打を記録し、チームの大会2連覇に貢献した。長打力が武器の大砲。身長185cm、体重95kg。右投げ右打ち。背番号26。
(文・写真/杉浦泰介)

