第5回 「勉強も仕事もできる大人に」~立花寛久硬式野球部監督(前編)~
二宮清純: 大正大学硬式野球部は1948年に創部し、その年に東都大学野球連盟に加盟しました。現在は3部に籍を置き、秋期リーグを戦っていますが、既に2位以下が確定しています。首位の国士舘大学に2連敗して勝ち点を奪えなかったのが痛かったですね。

立花寛久: そうですね。2部に昇格する上で最大の壁だと思っていたのですが、春に続いて秋も敗れてしまいました。しかし、戦力差は、かなり縮まってきたと考えています。というのも春は4対8、5対9で敗れたのですが、秋は3対4、0対3と接戦に持ち込むことができました。とりわけ初戦は8回が終わった時点で3対2で勝っていたのですが、9回表に逆転2ランを浴びてしまいました。2戦目も投手が好投しながら、ホームラン2本でやられてしまった。最後はパワー負けしましたが、ほぼ互角の戦いができたことで、選手たちは自信を深めたようです。
二宮: 3部優勝はできませんでしたが、来年の春につながる内容だったと?
立花: そう思っています。来春に向け、課題が明確になりました。パワー負けした経験を踏まえ、冬場はフィジカルトレーニングに力を入れ、もう一回り体を大きくしようと。それに加え、野手は振り込み、走り込みも大事です。また、接戦を勝ち切るには、バントやエンドランなど、細かいプレーも徹底して見直さなければいけない。ピッチャーに関していえば、こちらも冬場の走り込み、投げ込みにより、アベレージでストレートは140キロをマークできるように指導していきたい。これからは3年生以下のチームになりますが、選手たちは(3部残留が決まった)次の日から気持ちを入れ換え、自主的に練習に取り組んでいます。
二宮: ところで立花さんが監督に就任されたのは、いつですか?
立花: 2024年の2月です。それまでは大内康至監督の下で6年間コーチをやっていました。

二宮: コーチ時代との違いは?
立花: コーチの時は、選手の指導がメインだったのですが、監督はチーム全体を見渡さなければならない。コーチには、伸び伸びやってもらいたいと考えています。
父・立花義家の教え
二宮: 現在の指導体制は?
立花: 約100人の部員がいるのですが、AとFに分けています。Fはファームです。私が監督で、コーチが2人、ファーム監督がひとりの計4人体制で選手を見ています。
二宮: 立花さんは父親が西武ライオンズ打撃コーチの義家さん。私より1学年上なので、柳川商時代からよく見ていました。1976年秋のドラフト会議でクラウンライターライオンズから1位指名を受け入団。1年目から試合に出て“19歳の3番打者”として注目を集めました。引退後、いくつかの球団でコーチをされましたが、選手を指導する上でどんなアドバイスを受けましたか?
立花: これは私がコーチになる時から、ずっと言われていることですが、“絶対に自分が育てた”とは口にするな、と。

二宮: つまり、自分の手柄にはするな、ということですか。
立花: そうです。父は“選手は勝手に育っていくものだ。それをサポートするのが、コーチの仕事だ”と常に言っていました。どうやらライオンズに入った時の監督である根本陸夫さんの教えのようです。私はコーチになってから父と話す機会が増えたのですが、父の教えが、よくわかります。指摘したい点はたくさんあるんだけど、今これを言うと混乱しそうだな、とか、このタイミングで言うと迷うんじゃないかな、とか……。その部分では、かなり気を使いますね。
二宮: 大正大学は今年、創立100周年を迎えました。柏木正博理事長も野球部には相当期待しているようです。
立花: 理事長からは、お会いするたびに「頑張れ! 頑張れ!」と励まされています。特に大学としては野球部と陸上競技部(駅伝)には力を入れていきたい、ということなので、その期待にお応えしたい、いやお応えしなきゃいけない、という使命感をひしひしと感じているところです。
もっとも、大学は教育機関でもあるので、ただ野球さえやっていればいい、ということではありません。世の中に出た時、お役に立てる人間を育てたい。野球だけではなく勉強もでき、仕事もできる“カッコいい大人”になってもらいたい。そういう方針の下、日々、選手たちと接しています。
(後編につづく)

<立花寛久(たちばな・ひろひさ)プロフィール>
1985年埼玉県所沢市出身。中学までは空手に熱中し、本格的に野球を始めたのは高校から。日大二高時代からの先輩の藤木随尊氏にあこがれ、大正大学硬式野球部へ入部。大学四年次は主将を務める。平成29年から大正大学のコーチを務め、令和7年から監督に就任。現在2部昇格に向けて奮闘中。
球歴:(選手)日大二高→大正大学→一球幸魂倶楽部
(指導者)大正大学硬式野球部コーチ→大正大学硬式野球部監督

<二宮清純(にのみや・せいじゅん)プロフィール>
1960年、愛媛県出身。明治大学大学院博士後期課程修了・博士(学術)。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。経済産業省「地域×スポーツクラブ産業研究会」委員。認定NPO法人健康都市活動支援機構理事。『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)『勝者の思考法』(PHP新書)『プロ野球“衝撃の昭和史”』(文春新書)『変われない組織は亡びる』(河野太郎議員との共著・祥伝社新書)『歩を「と金」に変える人材活用術』(羽生善治氏との共著・廣済堂出版)、『森保一の決める技法』(幻冬舎新書)など著書多数。