村上裕一郎(ENEOS野球部/愛媛県八幡浜市出身)最終回「プロ入りの道を切り拓くアーチを」
2020年春、村上裕一郎は福岡六大学野球連盟の九州共立大学に進学した。同大は同リーグで47度(26年秋季終了時点)の優勝を誇る強豪校だ。全日本大学野球選手権大会に17回出場し、準優勝1回(1996年)、明治神宮野球大会には10回出場で優勝1回(99年)。OBには柴原洋、新垣渚、馬原孝浩、大瀬良大地らプロ野球選手がいる。
「レベルが高いからと言って、“自分がダメだ”とは思いませんでした。“レベルの高い人たちに追いつけるように頑張ろう”としか考えなかった」と村上。ひた向きに練習に取り組む姿勢は、大学生になってからも変わらなかった。
1年春はコロナ禍でリーグ戦が中止となったが、秋にはリーグ戦デビューを果たした。徐々に出場機会を増やしていったが、スラッガーとして本格化したのは3年春からだ。上原忠監督はこう証言する。
「彼の同期に長距離砲がいて、トレーニングを真面目に取り組む仲間に恵まれていました。グループをつくり、みんなで時間を決めて妥協なく練習していた。そこから身体が大きくなり、飛距離も出始めた記憶があります」
春は主に5番・ライトとして打率2割4分2厘ながら3本塁打をマークした。リーグ優勝、全日本大学選手権出場に貢献した。秋はさらに打ちまくり、打率4割4分1厘、リーグ最多の4本塁打を記録し、ベストナインに選出された。侍ジャパン大学日本代表候補合宿に呼ばれるなど充実の1年を過ごした。
「入って来た時は長距離砲と思いませんでしたが、大学で一気に成長した印象です。飛距離は今まで見てきた選手の中で一番」。上原は語り、続けた。
「大学4年のある日、社会人チームと、九州共立大学のグラウンド練習試合をしました。そこで村上がレフトスタンド場外どころか、隣のラグビー場まで飛んでいく打球を打ったんです。持っているモノはすごいと思わせる一撃でしたね」
福岡六大学リーグでは通算11本塁打を記録したが、プロ志望届の提出は見送った。村上はプロへの憧れはあったものの、代表候補合宿で同年代の投手、西舘勇陽(専修大学、現・巨人)、武内(國學院大学、現・埼玉西武)らとの力の差を痛感したため、プロは時期尚早と考えた。社会人野球のENEOS入りが内定していたことも理由のひとつ。当時の監督・大久保秀昭(現・チームディレクター)から誘われ、ENEOSの練習に参加した。
大久保は当時を、こう振り返る。
「右の大砲候補を探していた時に、“身体がデカくて力のあるヤツだな”と思い、ENEOSの鹿児島キャンプに来てもらいました。練習に参加させてみると、打球音からして違う。大学ジャパンのスタッフにも情報収集しました。確率に対する心配は少しありましたが、それ以上に彼の長打力は魅力的だった」
会社への恩返し
大学4年時は故障もあってリーグ戦で計2本塁打と不振に終わったが、ENEOSではその鬱憤を晴らすかのように1年目から活躍した。JABA大会や都市対抗野球大会などの公式戦12試合に出場し、打率3割7分5厘、5本塁打、11打点。都市対抗1回戦の東海理化戦では、東京ドームの上段に突き刺す豪快な一発を放った。打球速度は174km。NPBの大砲クラスの数値である。この年は社会人野球の年間表彰式「JABA AWARDS 2024」で最多本塁打賞を受賞した。
また9月に開催された「第5回 WBSC U-23野球ワールドカップ」の日本代表にも選出され、2本塁打を放つなど充実のシーズンを送ったが、ドラフト解禁となった入社2年目のシーズンは打率1割台、2本塁打と軒並み数字を落とした。3年目は春先から好調だったが、ケガで都市対抗予選を欠場せざるを得なくなった。チームは予選敗退。村上復帰後もチームは10月の日本選手権でも予選敗退の憂き目に遭った。村上は社会人二大大会の出場を逃し、プロ入りに向けたアピールの機会を得られなかった。
26年10月22日、ドラフト会議が都内で行なわれ、ENEOSのチームメイト2人がNPB球団から指名された。
「会議前は自分の名が呼ばれることはないと思っていたので、チームメイトの誰かが選ばれることを願っていました。実際、ドラフト会議が終わると、(チームメイトが指名された)うれしさがある半面、悔しさもあった。来年に向け、頑張りたい気持ちが一層強くなりました」
村上は現在25歳。もはや「若手」ではない。それでも本人はプロ入りを諦めてはいない。NPBで唯一、三冠王を3度獲得した落合博満は26歳の年にロッテに入団した。ENEOSの大久保も近鉄に入ったのは28歳の年だ。“オールドルーキー”と呼ばれ、30歳前後でプロ入りした者もいる。
慶應義塾大学、ENEOSでプロ入りする選手を何人も育ててきた大久保は「彼はこれからですよ」と話し、こう期待を寄せる。
「変化することを怖れず、ただ小さくまとまってはほしくない。来年は“村上で勝った”という試合をもっと増やしていかない、と。相手チームに怖さを植え続けられる選手になってもらいたいですね。彼には長打だけでなく守備力もあります。打つだけじゃないところも魅力で、それらを磨いていけば、社会人日本代表にも呼ばれるはずです」
現在、村上は川崎市内のグラウンド、トレーニング場で汗を流す日々を送っている。「上手くなるための環境が整っている」と会社に感謝する。その恩はグラウンドでのプレーで返すしかない。
村上はプロ入りという夢を抱きながら、こう前を見据える。
「チームで日本一を経験したことがないので、都市対抗や日本選手権で優勝したい」
彼のバットでチームを日本一に導くことができれば、NPBドラフトで指名の可能性も出てくる。愛媛の港町が生んだスラッガーにとって、このオフから勝負の1年がスタートすると言っていい。身長185cmの大器は、自らの道を切り拓くためにアーチを描く――。
(おわり)
<村上裕一郎(むらかみ・ゆういちろう)プロフィール>
2001年6月14日、愛媛県八幡浜市出身。小学2年でソフトボールを始め、中学から軟式野球部に所属した。保内中学-宇和島東校-九州共立大学を経て、24年にENEOS入社。宇和島東3年時には甲子園出場を果たした。福岡六大学野球リーグの九州共立大では3年秋に本塁打王とベストナインを獲得。ENEOSでは1年目から主力として活躍した。都市対抗野球大会で本塁打を放つなど、この年は社会人野球の年間最多本塁打賞(対象大会12試合で5本塁打)を獲得。また9月に開催された「第5回 WBSC U-23野球ワールドカップ」の日本代表として、2本塁打を記録し、チームの大会2連覇に貢献した。長打力が武器の大砲。身長185cm、体重95kg。右投げ右打ち。背番号26。
(文・写真/杉浦泰介)
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