「垣原さん、お久しぶりです」
声の主に目をやると新日本時代の同志、田中稔選手であった。まさか博多のゴールドジムで再会を果たすなんて夢にも思っていなかった。
11月15日、現在、武藤敬司選手率いる「レッスルワン」所属の稔選手は、この夜、博多スターレーンで試合があるため、トレーニングに来ていたのだ。僕の方は、マリンメッセ福岡で開催されたキャンピングカーのイベントで、九州に滞在していたのである。
「実は……垣原さんにお願いがあります」
稔選手の依頼は、なんと僕の必殺技である「カッキーカッター」を使わせて欲しいとのことだった。
カッキーカッターとは、柔道の大外刈りをショーアップした技で、僕が現役時代にフィニッシュホールドにしていた。自分のニックネームを付けるほど一番思い入れのあるオリジナル技なのである。ちなみに名づけ親は、あのプロレス界の帝王こと高山善廣選手だ。この技があったからこそ、新日本在籍時にジュニアの祭典「スーパージュニア」で、優勝を成し遂げることができた。
「カッキーカッターを使ってくれる選手が現れたことを心から嬉しく思いますよ」
僕は、この提案を手放しで喜んだ。
稔選手は、あの獣神サンダー・ライガー選手が天才レスラーと認めるジュニアのトップ選手である。打撃や関節技をベースに空中殺法まで使いこなすオールラウンドプレーヤーだ。そんな選手が僕の技を使ってくれるなんて光栄過ぎる。
彼には僕の引退試合の時、ミヤマ☆仮面のマスクを贈呈してくれた恩もある。同い歳であり、古巣は同じU系。今年でデビュー20周年を迎えた海千山千の選手でもあり、カッキーカッターを継承するのに、これ以上ふさわしい人物はいない。断る理由など見つからないだろう。
「今夜の試合、ご招待しますので、ぜひとも観に来て下さい」
稔選手の誘いで僕は約10年ぶりにプロレス西の聖地・博多スターレーンへと足を運んだのだった。
リングから一番近い良い席を用意してくれたのだが、これには理由があった。公約どおり、試合でカッキーカッターをお披露目した稔選手は、試合後、僕のところへ来てガッチリと握手し、観客へアピールしたのだ。
「マスコミの囲み取材にもご同行お願いします」
そのまま彼と控え室まで行き、正式にカッキーカッター伝承の旨を記者へ伝えたのである。
試合後、彼はツイッターで以下のように呟いていた。
<本日の博多大会で垣原さんから「カッキーカッター」そして奥の手「トルネードカッター」を正式にいただいた☆トルネードの方はオカダのレインメーカーみたいと思われたりするかもだが垣原さんは2001年から使ってるからな♪とにかく大事に使ってくぜ。垣原さんありがとうございました>
今の時代、ツイッターやフェイスブック、ブログがあるから情報が伝わるのが早い。このツイッターを見た娘から早速連絡が来た。娘も「かっきー」のニックネームで活動しているだけに、その反響に嬉しそうだった。
技を伝授してから約3週間後の12月7日、大阪でEWPインターコンチネンタル選手権のタイトルに稔選手が挑戦した。さすがに大阪ということもあり、応援に行けず、もどかしかったが、試合後に嬉しいメールが届いた。
<最後はトルネード式のカッキーカッターでベルトを獲りました。これからもこの技を大事に使わせてもらいます>
僕は自分のことのように喜んだ。シングルでのベルトに縁がなかった僕は、まるでベルト奪取の疑似体験をしたかのような幸せな気分を味わうことができた。その週の『週刊プロレス』を開くと大きな記事になっていた
(写真)ので、これまた感激であった。大文字でカッキーカッターと掲載されているのを見ると何とも言えない気分になる。
さて、チャンピオンとなった稔選手は、ゆっくり休んでなどいられない。早速、防衛戦を行なうため、2週間後にはなんとドイツへと旅立った。このベルトは、もともとドイツ発祥のようだ。
現在もヨーロッパのプロレスは、ボクシングのようなラウンド制が残っている。僕は経験したことはないが、この試合形式には非常に興味がある。それにヨーロピアンスタイルのレスリングも地味だが大好きだ。イギリス出身の師匠であるビル・ロビンソン氏から「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」と呼ばれるレスリングを教わっていたからだろう。
それにしても海外のリングでラウンド制のタイトルマッチを行なえる稔選手は、とても良い経験をしてうらやましい。12月20日、ドイツのハノーバーで、マイケル・コバッチ選手の挑戦を受けた稔選手だが、見事防衛を果たした。ラウンド制に慣れたベテラン選手を退けたのだから、その勢いは本物である。
次の防衛戦は、おそらく国内だと思うので、応援に駆けつけ、カッキーカッターの完成度を確認したい。武器が増えたプロレスの天才・稔選手の今後の活躍に目が離せない。
(このコーナーは毎月第4金曜日に更新します)
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