今回ばかりは日本サッカー協会に同情していた。アギーレ監督の問題について、である。
 アギーレ監督が八百長に関わっていたのか。真相がイエスだというのならば、なるほど解雇するしかあるまい。ただ、雇った側の責任を追求する声を聞くと、いささか気の毒になってしまう。
 わたし自身、FC琉球で監督選びに関わったことがある。直接本人と交渉したこともある。だが、その際、「この人物は八百長をしたことがあるか」などとは、1秒たりとも考えたことはない。トルシエが本当にフランス人なのか。あるいは本当に男性なのか…などとは調べなかったように、調査しようとさえしなかった。おそらく、ほとんどのJリーグのフロントも、同じようなものではないかと思う。

 それが罪だ、責任問題だといわれたら、途方に暮れるしかない。

 まして、自らの責任において部下たる閣僚を指名する総理大臣と違い、サッカーの場合、雇う側と雇われる側の立場は基本的にイーブンである。雇われる側が、雇う側に対して自分の都合の悪い部分を隠して交渉するのも珍しいことではない。そこを見抜けないのは、失敗ではあっても罪ではない。アギーレの過去を見抜けなかったと協会を批判するのは、詐欺にあった被害者を非難することに等しい、とも思っていた。

 ただ、同情するのはそこまでである。

 もし本当にアギーレ監督が八百長に関与していたのならば、当然、協会としては解雇しなくてはなるまい。問題は、次を誰にするか、である。

 そもそも、なぜ協会はザッケローニの後釜にアギーレを指名したのか。ザックのやってきた方向性に、W杯で指揮を執ったことのある経験を加味したかったから、のはずである。実際に任せてみると、ずいぶんとザックとは違う部分も見えてきたが、それでも、現チームには確実に前監督の遺伝子が息づいている。

 ザック+経験=アギーレ。正否はともかく、それが半年前に協会が導き出した数式の答えだった以上、アギーレに代わる人物も、ザック+経験という条件を満たしていなければならない。

 つまり、W杯で指揮を執った経験のある人物でなければ、監督選びの基準は大きくブレてしまうことになる。

 時期が悪い? もしそうだとしたら、シーズン途中、予選途中の監督交代はありえないことになってしまう。監督選びに時期など関係ない。むしろ、任期途中の監督交代を経験できる、協会にとっては格好の機会だと考えるべきである。

 間違っても「日本をよく知っているから」などという安直な理由に流れることのなきように。

<この原稿は14年12月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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