寺嶋寛大の野球観を変えたのは、昨季セ・リーグの新人王に輝いた小川泰弘だったという。「小川さんと出会って、丁寧さや緻密さの重要性を知り、野球に対する考え方や取り組み方が変わったんです」と寺嶋は語る。大学1年夏から小川とバッテリーを組んで“野球”を学び、そして小川の卒業後にはそれを後輩に伝えてきた。果たして、寺嶋は小川から何を学んだのか――。
 重要なバッテリー間の“納得”

―― 大学1年時から2学年上の小川投手とバッテリーを組み、いろいろと教えってもらったと。
寺嶋: 小川さんに口を酸っぱくして言われたのは、“1球の重さ”です。1年夏のオープン戦からマスクを被るようになったのですが、当時はイニングごとに小川さんのところに駆け寄って行っていました。最初、小川さんはまったく首を振らずに、僕のサイン通りに投げていたんです。それで「どうでしたか?」と聞くと「今のは良かったんじゃない?」と言われる時もあれば、「何であそこであのサインを出したの?」と聞かれることもありました。その時に答えられないと、「意思のないボールは打たれるぞ」と。

―― “1球の重み”を感じた試合は?
寺嶋: 2年の時の全国大会です。春の全日本大学選手権で痛打されているのはほとんどが、1ストライク2ボールからストライクを安易に取りにいった真っ直ぐなんです。今年の関東大会、決勝の上武大学戦の時も痛感しました。4回裏に勝ち越して2−1と1点リードしていた5回表、1死三塁の場面で2ストライクと追い込んだところで、僕が「ここで緩いカーブが欲しいな」と思ったんです。ところが、僕のカーブのサインに、マウンド上の田中正義が一瞬、「ん?」という表情をした。結局そのままカーブを投げたのですが、とんでもないワンバウンドのボールになって、僕はそれを後逸してパスボールになったんです。それで同点となって、6回表に1点勝ち越した上武大が逃げ切りました。せっかく引き寄せかけた流れを、あのパスボールで相手に渡してしまったんです。よく小川さんに「ピッチャーが、よしっ、という気持ちで投げないと打たれるぞ」って言われていたんです。本当にその通りでしたね。もし、あの時ワンバウンドにならずにストライクのコースに来ても、おそらく打たれていたと思うんです。

―― キャッチャーとしては、どうしなければならなかった?
寺嶋: ピッチャーが「ん?」ってなった時には、1回外して仕切り直ししなければいけないんです。それできちんと意思疎通をしてから投げる。だからあの時、自分が止めて、外させなければならなかったなと。配球には正解はありません。絶対に打たれないという保障はない。だからこそ、お互いに納得して投げることが大事なんです。

―― その小川投手と同じプロ入りが決定しました。ドラフト会議で名前を呼ばれた瞬間は?
寺嶋: 僕は監督と寮の上の部屋で見ていたのですが、自分が何かを思う前に、下の食堂から「うわぁ!」という大きな声が聞こえてきて、「おぉ、騒いでいるな」というのが一番最初の感想でした(笑)。

―― プロになるという実感がわいたのは?
寺嶋: 入団会見でユニフォーム姿でファンに挨拶をした時ですね。伊東勤監督にお会いした時も気持ちが引き締まりましたが、いざユニフォームを着た時に「あぁ、プロの世界に入るんだな」としみじみと思いました。

―― 球団からはどんな期待をされていると感じている?
寺嶋: チームは要のポジションであるキャッチャーが、現在はまだ固定されていない状態だと思います。僕が入ったことによって、同世代とのポジション争いが熾烈になると思いますが、球団はそこでどれだけやれるかを見たいと思っているのかなと。もちろん、競争を勝ち抜いて頭ひとつ抜ける選手になりたいと思っています。

―― 一番の武器は?
寺嶋: 勝負強さです。これまでも大事なポイントで、しっかりと印象に残るプレーができたかなと思っているので、プロでも勝負強さを発揮していきたいと思っています。

―― 勝負強さとは?
寺嶋: チームが勢いに乗って、他のバッターが打っている時というのは、僕はあまり打たないんですけど、「寛大、ここで打ってくれ」という雰囲気が出ている時にこそ結果を出してきた。僕、緊迫した場面でも緊張せずに普通でいることができるんです。それが自分の強みだと思っています。

 厳しさの中にも大事にしたい楽しさ

―― 今年は4番であり、キャプテンでもありました。
寺嶋: キャプテンと言っても、僕はほとんど何もしていないんです。プレーで引っ張るタイプでも、言葉で伝えることがうまい選手でもない。みんなも僕の人となりをわかってくれていたと思います。チームがうまくまとまったのは、同級生の野倉大南と高橋直樹、2人のおかげなんです。彼らが言うところはしっかりと言ってくれましたし、3年生も下の学年をまとめてくれていました。だから、キャプテンとして大変だったことは何ひとつなかったんです。本当に周りに助けられましたし、彼らがしっかりしていなかったら、ここまでチームはうまくいっていなかったと思うので、とても感謝しています。

―― チームの和を一番に感じたのは?
寺嶋: 試合に負けた時にこそ、チームのまとまりを感じましたね。負けてそのままズルズルといくのではなく、「次、頑張っていこうぜ」「今日はこうだったから、次はこうしていこう」というふうに反省をしつつ、みんな前向きに考えていました。下の学年からも「寺嶋さん、次はこういうふうにやっていきたいんですけど」というふうに意見が出ていましたし、団結力のあるチームだったと思います。

―― キャプテンとして大事にしていたことは?
寺嶋: 僕がチームメイトに言っていたのは「先を見るなよ」ということです。「この試合に勝ったらどうだ」というふうに先を見るのは監督やコーチでいいと思うんです。選手はとにかく目の前の試合にかけることが大事。それと「楽しんでやっていこう」というふうにも言っていました。僕たちは野球を好きでやっているわけですから、厳しさの中にも楽しさを忘れてほしくないなと思ったんです。

―― 「楽しもう」と思うようになったきっかけは?
寺嶋: 大学1年の夏のオープン戦から試合に出させてもらうようになったのですが、その時はとにかくついていくのが精一杯で、必死でした。それでわずか1カ月で体重が10キロ近くも落ちてしまったんです。そしたらある日、試合を観に来た父親に「オマエ、全然楽しそうじゃないな。せっかく好きな野球をやっているんだから、もっと楽しくやれよ」と言われたんです。その時、「あぁ、本当だな」と。それからですね、楽しくやっていこうと思ったのは。

―― 一番「楽しさ」を感じたのは?
寺嶋: たくさんありますが、それこそ今年秋の明治神宮大会、関西大学との2回戦で、1点ビハインドの8回裏、2死二塁の場面で野倉が代打に送られたんです。「打っても打てなくてもいいから、とにかく楽しんでやってこいよ」と言ったら、野倉も「OK!」と言って、打席に向かったんですけど、そしたら同点打を打ったんです。おかげでその試合は延長戦に持ち込んでサヨナラ勝ちしました。あの時は、自分のことのように嬉しかったですね。プロは、これまで以上に結果を求められる厳しい世界だとは覚悟していますが、その中でも1球1球、楽しさを求めてやっていきたいと思っています。

―― そのプロで対戦したいピッチャーは?
寺嶋: やっぱり小川さんです。後輩の僕には、おそらくじらしてじらして、インコースに真っ直ぐで勝負してくると思うので、その球をカーンと打ちたいですね。小川さんと対戦できるくらいまでのところに少しでも早く上がれるように、まずは一軍定着を目指して頑張っていきます。


寺嶋寛大(てらしま・かんだい)
1992年10月12日、東京都生まれ。興誠高(静岡)では2年秋から「4番・捕手」として活躍した。創価大では1年夏からスタメンマスクを被り、同年秋から東京新大学リーグ7季連続優勝に大きく貢献した。3年秋には打率4割3分2厘をマークして首位打者とベストナイン、4年春は14打点をマークしてMVP、打点王、ベストナインに輝いた。183センチ、82キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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