2003年11月、松原良香の所属する『かりゆしFC』はJFL昇格を掛けて、全国地域リーグ決勝大会に駒を進めていた。そして第1リーグ初戦、関西代表の高田FCと対戦、3対1で勝利した。

 

 その夜、ぼくはかりゆしFCが宿泊しているホテルに近い食堂で松原と会うことになった。

 

 赤銅色に日焼けした松原は「全然駄目でしたね」と渋面で試合を振り返った。

 

 サッカーは、足技や体力はもちろんだが、味方の選手の位置を把握して、自分がどうしたプレーを選択するのかという瞬時の判断能力が重要である。かりゆしFCの選手たちは、それが欠けていた。

 

「このレベル(の相手)だとボールが持てるじゃないですか? だから自分でなんとかしようという気が起きてしまうのかもしれませんね」

 

 意味なくボールを持ちすぎる、あるいは味方と不要なパス交換で、試合のリズムを自らなくしていたのだ。

 

「サッカーって常にゴールを狙わないといけない。一番シンプルなのは、相手からボールを奪ったら、フォワードに直接パスを繋いで、シュートを打つこと。相手はそれをさせないようにスペースを消してくる。でもうちの選手はゴールではなくて、まずパスを繋ぐこと、ボールを奪われないことを考えている」

 

 松原のこうしたサッカー観は、ジュビロ磐田時代の同僚、ドゥンガの影響だ。

「ドゥンガがボールを奪うと、まずフォワードを見るんです。そして、相手のマークがずれていればパスを出す。一瞬の隙も見逃さない。だからフォワードは彼がボールを持ったら常に準備して、ゴールを狙えるポジショニングを考えていなければならなかった」

 

 ドゥンガは味方選手の動き方を見て、その意図を読み取り、パスを操った。かりゆしFCのほとんどの選手からは、どういう意図で動いているのか、伝わってこないのだと松原は嘆いた。

 

「ぼくは今までは自分のことだけを考えていれば良かった。でも、今はそういう立場ではない。(監督の加藤)久さんも、そのために自分を取ってくれたのだと思っています。ただ、一人でがみがみ怒っても通じない。いかにチームメイトにやる気を出させるか」

 

 地域リーグには、技術、体力以外の“何か”が足りない選手が多い。Jリーグの選手ならば当然のことが、すっぽり抜け落ちていることもある。その水準まで下りて、かみ砕いて説明しなければならないことに、松原は戸惑っていた。

 

「今回の全国社会人決勝大会で、うちより強いチームはないと思いますよ。普通にやれば勝てる。しかし、その自信がない。どうやれば自分たちは強いんだという自信を持つことが出来るのか」

 

 地域リーグ決勝大会は短期決戦である。次戦の静岡FC戦は翌日。この試合に勝った方が、決勝ラウンドに進出することになっていた。

 

松原の涙

 

 この頃、静岡FCはJFL昇格への欲望をもっとも露わにしていたクラブであったろう。

 

 静岡FCは『やまき屋クラブ』を引き継ぐ形で、静岡県リーグ1部に参加。2001年、参加初年度に県リーグ優勝、東海リーグに昇格した。前年の2002年には地域リーグ決勝大会に進出していた。

 

 クラブの実質的なオーナーは三浦知良の実父、納谷宣雄である。

 

 ブラジルでの生活経験があり、日本で最初の代理人でもあった納谷は、静岡FCにJリーグ経験者を集めた。2002年シーズンには元清水エスパルスのジアスも所属していた。三浦知良とブラジルのコリチーバで同僚だったジアスはブラジル代表にも選ばれた過去がある。地域リーグでブラジル代表経験のある選手がプレーしたのは、彼が初めてだろう。

 

 ただし、クラブは納谷の生き様を正直に反映しているようで、攻めに強いが、守りは弱かった。2002年の地域リーグ決勝大会でも守備が崩壊し、JFL昇格条件の2位以内に入ることはできなかった。

 

 2003年の静岡FCの攻撃の中心は、フォワードの清野智秋だった。清野は18歳、19歳以下の日本代表にも選ばれており、将来を嘱望された大型フォワードだったが、多重債務による金銭問題でジュビロ磐田を解雇されていた。こうした他のクラブならば二の足を踏む選手を入れるというのも、問題児が少なくないブラジルに慣れた納谷らしいやり方だった。

 

 かりゆしFCと静岡FCの試合は、前半から荒れた雰囲気になった。前半29分、静岡FCの中盤の選手がレッドカードで退場。ところが一人多いはずのかりゆしFCは、数的優位を生かすことができない。

 

 前半終了直前、清野が山なりの長いパスを拾って、シュート。静岡FCが先制した。前半ほとんどの時間、厳しいマークに会い、清野の存在は消えていた。少しでも油断すれば点を決めるという、清野のフォワードとしての資質を見せつけた1点だった。

 

 かりゆしFCは後半28分、右サイドからのクロスボールを松原が頭に合わせて同点に追いついた。しかし、追加点を挙げることができない。試合は1対1でペナルティ戦に持ち込まれた。

 

 かりゆしFC、静岡FCともに5人まで全員成功。そして、かりゆしFCの6番目の選手が外し、静岡FCの決勝ステージ進出が決まった。

 

 かりゆしの選手たちは、うなだれたまま控え室に引き揚げようとした。それに気がついた松原は他の選手たちの肩を叩いて集めた。そして、かりゆしFCの応援席まで行き、頭を下げた。松原の頬には涙が流れていた。

 

 人生はちょっとの躓きで大きく流れが変わってしまうことがある。この年、昇格できなかったことで、かりゆしFCは大きく揺れ始める――。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日、京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て 99年に退社。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)など。14年に上梓した『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。15年7月に『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)を発売。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。


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