中学3年の大森遊音はサンフレッチェ広島ユースのセレクションに落選し、途方に暮れていた。
「中学3年の進路の時期は、“本当にどうしようか”と一番悩んだところです。次の希望は一応、広島市内の高校だったのですが、自分としてはユースに行きたかった。Jリーグに直結していますから」
<2016年11月の原稿を再掲載しております>
父・敬は悩んでいる息子がいつの日かに吐いた本音を覚えていた。
「彼曰く、その当時は“全然、高校サッカーに興味がない”と。全国高校選手権がテレビで大々的に放送されていても、出たいとは思わなかったみたいなんです。広島にもサッカー強豪校はたくさんありますが、興味がないのなら行っても仕方ない。インターネットで調べていたら、愛媛FCユースのセレクションがまだ終わっていなかったんです。“愛媛なら今からでも間に合うよ”と話をすると、本人もその気になったんです」
セレクションは10月頃に行われた。大森はこの試験に対して、「自分としては“ここで落ちたら、サッカーは終わり”という感じ」で臨んだ。退路を断って挑んだ大森は絶好調だった。目に見える数字は残せなかったが、攻守に渡り見事に機能した。持ち味のドリブルとパスでスカウトへのアピールに成功。セレクションに同行していた父・敬から見ても手応えは十分だったという。「セレクションには何十人もいました。その中でも遊音は目立っていたと思います」
父と息子の2人暮らし
中学3年にしてサッカー人生を懸けて挑戦したセレクション。大森は晴れて合格し、高校1年からはJクラブのユース生となる。住まいも愛媛県に移し、高校は私立新田高校を選んだ。その理由を父が語る。
「最初は公立を考えていていましたが、保護者が一緒にいないと公立の場合は入学が難しいらしいんです。ひょっとしたら、一人暮らしの可能性もあったので私立にしました」
新田高は愛媛県内でもスポーツの強豪校だ。サッカーに限らず、柔道は全国レベル、その他テニスやバドミントンでも有名な学校だった。それに加え、愛媛FCユースの練習場からも自転車で10分程度と、立地条件が良かった。
新田高入学が決まった後、さらに大森にとっていい報せが届いた。4月から父・敬が愛媛県今治市への転勤が決まったのだ。
「私が転勤族なものですから。尾道も長かったので、“そろそろ異動かな”というのもありました。今治に希望は出しましたがサラリーマンなので希望通りにいくとは限りません。ですが、4月から今治への転勤が決まったんです」
ここからの3年間、父と遊音の男2人暮らしが始まった。この期間のことを大森は「父には本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と振り返った。
「朝ごはんも、弁当も、夜ごはんも全部、父が作ってくれました。当時はサッカーに一生懸命で、そんなことを思わなかったですけど、今、思うとありがたいなと。住むところも松山市内、高校と愛媛ユースの練習場の近くにしてくれたんです」
2人の住む松山市内から会社の今治までは電車で約1時間かかった。「今治には社宅があるんです。今治から愛媛ユースの練習に通っている子も居たみたいですけど、やっぱり帰ってくる頃には夜遅くなってしまいます。それなら私が松山から今治に通ったほうがいい」と父・敬。父は息子へのサポートを惜しまなかった。毎日の食事については「私は元々料理を作るのが嫌いな方ではなかったので、あまり苦にはなりませんでした。男2人暮らしですから、役割分担をしてね。米を研いだり、自分の練習着の洗濯は彼がやってくれましたよ」と笑いながら語った。
愛媛での新生活を順調にスタートさせた大森。愛媛ユースでは同じポジションの先輩に衝撃を受けつつも、今のスタイルの礎を築いていく――。
(第4回につづく)
<大森遊音(おおもり・ゆおん)プロフィール>
1995年9月9日、広島県尾道市出身。小学生の頃からサッカーを始める。尾道東ジュニアフットボールクラブ―高島平サッカークラブ―尾道東ジュニアフットボールクラブ―サンフレッチェびんご―愛媛FCユース。読みの鋭さと当たりの強さを生かしたボール奪取が得意なボランチ。2015年には関東大学サッカー選抜にも選出された。171センチ、65キロ。
(文・写真/大木雄貴)
◎バックナンバーはこちらから