広島カープの顔でもある41歳の新井貴浩が今季限りでの現役引退を表明した。
07年オフにFA権を行使して阪神に移籍した際は涙を流した新井だが、今回の引退会見では晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
その背景には、自分なりにやり切った、との満足感があったのではないか。
新井は駒澤大から99年、ドラフト6位で広島に入団した。プロでは通算315本塁打(9月10日現在)をマークしている新井だが、大学時代の本塁打数は、わずか2本。太田誠監督(当時)によれば「ウドの大木」だった。
広島入りのきっかけは太田が駒大の後輩にあたる大下剛史に「こいつは就職先がないから、オマエ、広島に連れて帰ってくれんか」と頼んだことだった。大下はヘッドコーチ就任が決まっていた。
189センチの偉丈夫だが、肩は弱かった。動きも鈍かった。当たれば飛ぶがバッティングも雑。守るところがなかった。
同期のドラフト1位は敦賀気比高からやってきた東出輝裕。4つ年下の同僚に「下手やなァ」と“ため口”でからかわれた。
先輩にはいじられ、後輩にはからかわれる。並の選手なら、もうそれだけで精神的に参ってしまう。
ところが新井は一度も音を上げなかった。コーチがどんな厳しい練習を命じても、翌日はケロッとしていた。
タフな精神と屈強な肉体。それが「不器用な男」(山本浩二)を一流に押し上げたのである。
蛇足だが、広島には新井の他にも江藤智(現巨人三軍監督)、栗原健太(現東北楽天一軍打撃コーチ)ら叩き上げの和製大砲が育つ素地がある。それは、なぜなのだろう。
当時の関係者に聞くと、3人とも不器用で、とりわけ守備に難があった。入団時すでに江藤は右肩、栗原は右ヒジに故障を抱えていたという。
だが彼らには、厳しい練習に耐えられるだけの体力があった。馬並のスタミナは尽きない食欲に起因していた。
たとえば新井について、苑田聡彦スカウト統括部長はこう証言している。
<たっぷり練習した後、焼き肉10人前、ギョーザ10人前くらい食べて、また素振り。食べない人間は成功しない>(スポニチ9月6日付)
ある時、ふと漏らした大下の言葉が印象に残る。
「新井は親に感謝せんといかんと思う。強い体と素直な心。それを親からもらったんやろうね」
<この原稿は2018年10月5日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>
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