7日からの3連戦、広島対福岡ソフトバンクは昨季の日本シリーズのカードだった。9日、昨年、日本一を決められた本拠地で広島は対福岡ソフトバンク戦における連敗を6でストップした。緒方孝市監督は先発の九里亜蓮を5回でマウンドから降ろすと、6回、中村恭平、7回、一岡竜司、8回、カイル・レグナルト、9回、ヘロニモ・フランスアと小刻みにつないだ。

 

 スコアは3対2。球数は九里88球、中村恭9球、一岡16球、レグナルト17球、フランスア8球。先発の九里には勝ち星が、セットアッパーの中村恭、一岡、レグナルトにはホールドが、そしてフランスアにはセーブがついた。クローザー中崎翔太の不調を受けての新布陣だが、5人によるバトンリレーは吉と出た。

 

 2カ月前の小欄で「選手にとって最高の監督とは、自らを使ってくれる監督である」と述べた。その監督が、どれほどの「人格者」であろうとも、使ってくれなければ、この世界でいう“上の人”への忠誠心は生まれない。プロは起用されてナンボである。

 

 数年前、あるチームの優勝の瞬間に立ち会った。胴上げが始まる前、旧知のOBがスっと近づいてきた。「胴上げをしていると、選手と監督の本当の関係がわかるよ」と耳元でささやくのである。「ホラ、監督に重用されている者は(胴上げの)真下か、すぐ近くにいるけど、そうじゃない者は、輪の端の方にいて、監督の体に触っていないでしょう」。言われてみれば、その通りだった。中には、わざわざ胴上げに背を向け、カエルのようにピョンピョン跳びはねている者もいた。胴上げの裏に、そんな人間模様が潜んでいようとは……。胴上げの現場が映し出す選手と監督の距離は、文字通り人間関係の「距離」でもあったのだ。

 

 閑話休題。プロ野球といえども、社会情勢と無縁ではいられない。昔と違って、今はエースひとりの力で勝つより、5人が力をあわせて勝った方が、チームは盛り上がり、絆も深まるのではないか。すなわち「ワークシェアリング」の思想である。また球数の負担を分かちあうのは、選手ひとりひとりの「働き方改革」にも通じる。今後、私たちが目指すべきは、組織の構成員ひとりひとりに「出番」と「居場所」と「役割」がある「総活躍社会」であろう。プロ野球は、その縮図となれるのか。

 

<この原稿は19年6月12日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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