ワールドカップに6大会連続で出場するなど、今でこそアジア屈指のサッカー強国の地位を占める日本だが、躍進が始まるのは元号が昭和から平成に変わってからである。すなわちJリーグが1993年(平成5年)にスタートしてからだ。
昭和の時代、日本サッカーが世界に誇り得る最高の戦果は、1968年、メキシコ五輪での銅メダルだった。
言うまでもなく、銅メダルの立役者はFWの釜本邦茂。6試合で7得点をあげ、大会の得点王に輝いた。
代表強化に尽力し、“日本サッカーの父”と呼ばれたデットマール・クラマーは、釜本に「ストライカーはハンターだ」と説いたという。「ゴール前でバタバタするな。冷静に一発で仕留めろ!」
サッカーにおける最大の大会はFIFAワールドカップである。U-23代表(オーバーエイジ3人)の五輪は、それに次ぐ。
しかし、自国開催ゆえ、来年の東京五輪は、ワールドカップと同等の重みを持つ。田嶋幸三日本協会会長も、こう発破をかける。
「東京五輪ではメダルを目指さないといけない」
FWの柱として期待されているのが法政大学3年生ながら、この7月、同大学のサッカー部を退部し、鹿島アントラーズに入った上田綺世だ。
1年でも、いや1日でも早く高いレベルに身を置くことは、本人にとっても日本にとってもプラスだ。
Jリーグ初得点は8月10日、ホームでの横浜F・マリノス戦。終了間際のゴールは相手のDFラインぎりぎりにポジションを取り、味方からの折り返しを右足ダイレクトで決めたものだった。
9月1日、アウェーでの清水エスパルス戦では上田の長所がいかんなく発揮された。後半28分とアディショナルタイム、ヘディングで2点を叩き出し、チームの勝利に貢献した。
この2つのゴールは相手DFの死角に入る上田の“らしさ”がよく表れていた。
「最後に触っただけなんですが、僕の武器はそこ。こういったゴールをどんどん増やすことで仲間の信頼を高めたい。ワンタッチゴールのシチュエーションも、もっとつくり出していきたいですね」
上田をスカウトした鹿島の椎本邦一は、21歳の長所を、こう語る。
「上田を見ていると、“あ、ここに走り込むんだ”と思うことがある。これは教えられるものではなくセンス。ワンタッチで点を取ってこそストライカーと言えるでしょう」
上田のストライカーとしての資質については東京五輪の指揮も執る代表監督・森保一も高く評価している。
「エゴイスト的な面がある。最低限の守備をこなしつつ、攻撃でどれだけ力を発揮できるか。すごく可能性を秘めた選手です」
チーム作りを進めるU-22日本代表は9月2日から11日にかけて北中米遠征を行った。2試合に出場した上田だがゴールネットを揺らすことはできなかった。
上田に求められるのは、それこそ「一発で仕留める」ハンターとしての仕事である。覚醒に期待したい。
<この原稿は『サンデー毎日』2019年9月29日号に掲載されたものです>
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