高原直泰がブンデスリーガ初ゴールをあげた19年前の2月9日、日本人メディアは大騒ぎだった。わたしもそのうちの一人だった。マジか! 信じられない! それが正直な気持ちだった。

 

 たかが1ゴールで? と思う若い方がいらっしゃるかもしれないが、当時は、日本人選手が欧州でプレーするだけでニュースになる時代だった。しかも、高原がゴールを奪った相手はバイエルンで、その守護神は802分間にもわたって無失点を続けてきたドイツ代表のオリバー・カーンだった。

 

 日本ほどではなかったものの、このゴールはドイツ人にとってもかなりの驚きであったらしい。その衝撃を何とか個性的な表現で表そうとしたメディアは“スシボンバー”なる珍妙かつ悪趣味な愛称をひねり出した。たった1試合、たった1ゴール、である。

 

 令和4年のいま、日本人選手がブンデスでプレーすることはニュースでもなんでもなくなり、得点をあげたからといってメディアが大々的に取り上げることもなくなった。勝負どころの終盤こそ11試合無得点で終わってしまったが、結果的に2部への降格が決まったビーレフェルトでプレーする奥川雅也は、今季8ゴールをあげている。ちなみに、高原のブンデス1年目は3ゴールだった。

 

 奥川だけではない。シュツットガルトの伊藤洋輝と遠藤航は、チームを降格の危機から救う劇的なゴールを生み出した。地元のライバル、ヘルタの低迷を尻目に躍進したウニオン・ベルリンでは、原口元気がシーズンを通じて安定した働きを見せた。ボーフムの浅野拓磨のスピードは対戦相手にとって脅威であり続けた。

 

 そして何より、フランクフルトの長谷部誠と鎌田大地である。あまり「熱狂」というイメージのなかったこのチームのファンは、42年ぶりの戴冠をかけたEL決勝で文字通り沸騰した。

 

 会場となったスペインのサンチェス・ピスファンの半分を真っ白に染めたばかりか、ホームスタジアムでのパブリック・ビューイングまでもが5万人を超える観衆で超満員になったのだ。大げさではなく、2人の日本人はフランクフルトの伝説となった。

 

 長くブンデスリーガを見てきた人間の一人として断言するが、過去、こんなにも多くの日本人選手が、こんなにも印象的な活躍を見せたシーズンはなかった。

 

 06年のW杯ドイツ大会の直前、日本代表はドイツ代表とテストマッチを行った。2-2で終わったこの試合、日本の全得点をあげたのは高原だった。ブンデスに移籍してからの4シーズンで彼があげたゴールは「13」でしかなかったが、日の丸をつけた高原は、ドイツにとって間違いなく脅威となっていた。ちなみに、今季のブンデスで日本人選手が奪った得点は「22」である。

 

 もちろん、いまもドイツ代表は強い。日本より明らかに強い。

 

 だが、06年当時の両国にあった実力と経験値の差は、相当に詰まってきている。ボーフムは、フランクフルトは、バイエルンを倒してもいる。少なくとも浅野は、日本にとってのドイツが、ボーフムから仰ぎ見るバイエルンほど遥かな存在ではないことを実感しているはずである。

 

 W杯カタール大会の初戦、ドイツ戦は11月23日に行われる。組み合わせ決定直後とは比べ物にならないぐらい、わたしの気持ちは前向きになってきている。

 

<この原稿は22年5月26日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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