W杯日韓大会から20年、ということで、さまざまな媒体であの大会の特集が組まれている。わたし自身、雑誌の企画で川淵三郎さんと中田英寿さんにお話をうかがう機会をいただいた。自分自身の記憶と合わせて、同じ大会でも立場が違えばこんなにも感じ方、記憶の残り方が違うものかと新鮮な驚きを味わわせてもらった。

 

 20年前の6月23日は日曜日だった。前日、大会はベスト4が出揃い、いよいよ終盤にさしかかったところだった。いつもの大会だと、この段階になると宴が終わりに近づいたもの悲しさが込み上げてくるものだったが、このときは違った。前日、セネガル対トルコ戦を待つ大阪のプレスルームでテレビ観戦したスペイン対韓国戦の印象が、あまりにも強烈だったからである。

 

 あのころのわたしにとって、留学時代の記憶が新しいスペインは、日本の次に大切なチームだった。理不尽な判定で相性の悪いイタリアが消えてくれたことで、今度こそ、ついに頂点を狙える時がきたとほくそえんでいた。

 

 そうしたら、まさかのPK負けである。スペイン側の目線で見れば悪夢のような判定で2点を取り消され、挙げ句、攻撃陣のMVPだったホアキンのPKが止められた。この機会を生かせないようでは、スペインが世界の頂点に立つ日など永遠に来ない。心底、そう思った記憶がある。

 

 たった20年前の話である。

 

 ご存じの通り、その8年後、スペインはついにW杯を制した。00年代中盤からの10年間ほどではないものの、依然世界のサッカーをリードし、敬意を捧げられる存在であり続けている。

 

 あのころのわたしは夢にも思わなかった。スペインの「いま」はもちろん、大陸間プレーオフでウルグアイとの死闘に敗れたオーストラリアが、アジアに参入してくるなんて。20年後のW杯がカタールで行われるなんて。欧州サッカー界を席巻し始めていたロシアン・マネーが、一切排除される時代が来るなんて。

 

 22年の世界では当たり前のことが、あのころはまるで、当たり前ではなかった。

 

 だからきっと、42年の世界では、いまの当たり前が当たり前ではなくなっている。

 

 日本のサッカーは、世界の頂点に立っているだろうか。Jリーグは、欧州5大リーグと肩を並べる存在になりえているだろうか。野球界における大谷翔平のような、日本という枠組みを超えた歴史的、世界的スーパースターが、日本のサッカー界からも出現しているだろうか。

 

 可能性は、ゼロではない。

 

 だが、このままではゼロだ。

 

 本来、「若気の至り」という言葉は否定的な意味合いで使われることが多いが、20年前の日本サッカー界には、ポジティブな意味での「若気」が満ち満ちていた。

 

 02年大会を迎える段階で、日本がW杯に出場したのは1回だけで、しかも戦績は3戦全敗だった。わたしたちは、そんな国の代表チームに、「地元開催だから」という理由だけで、当然のように決勝トーナメント進出を義務づけていた。

 

 そして、今にして思えば無茶苦茶なノルマに、当時のチームは真っ向から向かい合い、見事、クリアしてみせた。

 

 明治維新しかり、廃虚からの復興しかり。無茶に思えるほどの高い目標をクリアしてきた歴史が日本にはある。W杯日韓大会から20年がたったいま、日本サッカー界に必要なのは、新たなる「若気」ではないかと強く思う。

 

<この原稿は22年6月23日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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