「下段職人」「ロシア人キラー」の異名をとる空手家・野本尚裕(新極真会愛媛支部)。重量級としては小柄ながら、体格の不利をものともせず02年全日本ウェイト制空手道選手権大会重量級で優勝、04 年全日本空手道選手権大会で準優勝するなど、数々の戦績を誇る。
 昨年10月、東京体育館で行われた全日本大会で4位に入賞し、上位4人に与えられる4年に1度の世界大会・第9回オープントーナメント全世界空手道選手権大会(10月13〜14日・東京体育館)の出場切符を手にした。


 世界大会に出場する実力者たちの多くが空手中心の生活を送る中、野本の本業は主に水道工事を行う「水道屋」。水道工事は、夏でも冬でも外での現場作業となる肉体労働だ。平日は朝早くから現場に出る。夕方に仕事を終えるとその足で新極真会愛媛支部道場に向かい、子どもたちや一般の道場生を対象とした空手の指導を行う。平日、道場での練習が終わるのは22時頃。30分ほど早く終わる週に2日は、道場の帰りにジムに立ち寄り、ウェイトトレーニングに励む。
 仕事の休みは基本的に日曜のみ。平日に比べると時間に余裕がある分、日曜には3時間ほど、みっちりと練習を行う。「日曜が一番、有効な練習ができる」と野本。まさに、仕事と空手漬けのハードな毎日を送っている。

 野本が指導&練習の拠点とする新極真会愛媛支部道場を訪ねた日も、昼休みを利用して工事の現場から抜けてきたのだと、青い作業着姿で現れた。
「空手に専念した生活の方がもちろん強くなれるとは思います。でも自分の場合、今の生活が合っていますね。前回の世界大会前に、3カ月くらい仕事を休んで空手中心の生活にしてみたんです。でも時間に余裕があると『また明日やればいい』と思ってしまう。時間が制限されているからこそ、集中して練習ができる。逆に、空手があるから、仕事が頑張れる部分もあります」
 そう野本は説明し、「でも」と続けた。
「余暇といえるような時間はまったくと言っていいほどないですね。だから時間があったら逆に何をしていいかわからないと思う(笑)。『趣味は?』と訊かれたら『ない』と答えますよ」
 そんな空手と仕事に追われる日々の中で、野本は確実に実力を伸ばし、結果を残してきた。

 37歳で掴んだ2度目の世界切符

 4年に1度の世界大会・第9回オープントーナメント全世界空手道選手権大会(10月13〜14日・東京体育館)の代表選考を兼ねた昨年10月の全日本空手道選手権大会では、準決勝で180センチ、116キロの体格で“重戦車”の異名を持つ塚越孝行(千葉松戸道場)、3位決定戦で世界王者・鈴木国博(厚木赤羽支部)にそれぞれ延長の末に敗れたものの、4位に食い込み、2大会連続の世界大会出場を決めた。

 20歳から始めた空手で、初めて世界の舞台に立ったのは4年前の第8回オープントーナメント全世界空手道選手権大会。野本が33歳のときだった。
 初の世界大会では、1、2、3回戦と外国勢を打ち破って勝ち上がったものの、4回戦で強豪のムザファー・バカック(ドイツ)に惜しくも敗れ、ベスト8進出を逃した。
 だが、このときは試合前に骨折した右手とあごが大会までに完治せず、万全の状態からはほど遠かった。「不完全燃焼」に終わった。
 世界大会後、体重を10キロ増やす肉体改造に踏み切った。急激な増量により、思うように動けない苦労を乗り越え、地道な努力で身体の切れも戻ってきた。
 そして再び手にした世界切符――。
「4年前は、『自分なんかが世界大会に出ていいのか?』と思っていました。でも、今回は、前回大会から4年間、この大会を見据えてきた。体も大きくなったし、大きな怪我もなくここまで練習をやり込むことができた。状況も意気込みも、4年前とは全く違いますね。自分でも楽しみにしています」

 世界大会を約2週間後に控え、「疲労がピークで、練習で思うように動けない」と苦笑しながらも、その声は明るい。
 37歳で迎える2度目の世界の舞台は、心身ともに充実して迎えることができそうだ。

(続く)

野本尚裕(のもと・なおひろ)プロフィール
1970年1月29日、愛媛県出身。02年第19回全日本ウエイト制重量級優勝。03年第8回全世界空手道選手権大会ベスト16。04年第36回全日本大会準優勝。06 年第23回全日本ウエイト制空手道選手権大会重量級準優勝。同年第9回オープントーナメント全世界空手道選手権大会で4位に入り、07年第9回全世界空手道選手権大会の日本代表に名を連ねた。得意技は下段回し蹴り。175センチ、91キロ。弐段。







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