数球団から声がかかる中、秋山翔吾が選んだのは古巣の埼玉西武でも富裕球団の福岡ソフトバンクでもなく、セ・リーグの広島だった。

 

 

<この原稿は2022年7月15日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

 

 なぜ広島だったのか。

 

 その理由を、秋山は「交渉時に鈴木清明球団本部長から“2000本”という言葉があった。フロントの方から、その言葉が出てうれしかった」と明かした。

 

 2000安打は、バットマンとしての目標であると同時に勲章でもある。鈴木はそこをうまくくすぐったのだ。

 

 過去に日米通算(NPBからスタート)2000安打を達成した選手は8人(7月19日現在)いる。

 

 イチロー4367本(日1278本、米3089本)

 松井稼頭央2705本(日2090本、米615本)

 松井秀喜2643本(日1390本、米1253本)

 青木宣親2635本(日1861本、米774本)

 福留孝介2450本(日1952本、米498本)

 アルフォンソ・ソリアーノ2392本(日2本、米2095本)

 井口資仁2254本(日1760本、米494本)

 中村紀洋2106本(日2101本、米5本)

 

 このうち福留、井口、中村の3人が、記念すべき2000本目を、帰国後、日本で放っている。

 

 この原稿を書いている時点で、秋山は日米通算1483安打(日1412本、米71本)。2000本は射程内だ。

 

 不動の4番だった鈴木誠也がポスティング・システムを利用して海を渡ったことで広島の外野手は“品薄”状態だ。唯一のレギュラー西川龍馬は6月2日の北海道日本ハムで左足首を故障し、復帰に時間を要している。

 

 秋山がレッズから戦力外通告を受けたのは4月3日。広島にとっては“渡りに舟”だった。

 

 実は過去にパ・リーグで首位打者を獲得したことのある選手の広島移籍は、秋山で4人目である。

 

 第1号は毎日・大毎、阪神を経由して68年に広島入りした山内一弘。もう晩年ではあったが、2年続けて20本台のホームランを記録し、山本浩二、衣笠祥雄ら若手の手本となった。

 

 第2号は阪急から83年にやってきた加藤秀司。シーズン半ばで肝炎を患い、不本意な成績に終わった。

 

 第3号はロッテから90年に移籍してきた高沢秀昭。セ・リーグの水が合わなかったのか、91年のシーズン中にロッテに復帰した。

 

 果たして秋山はクライマックスシリーズ出場を目指す広島の救世主となれるのか。


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