四国IL草創期よみがえった下関国際の軌跡
厳しい暑さが和らぎ、秋が近づいてきました。8月のトピックと言えばアマチュアでは、何と言っても夏の甲子園。仙台育英と下関国際の決勝はもちろんのこと、全体的に見応えのある大会でしたね。プロ野球では、東京ヤクルトの村上宗隆が連日にわたって凄まじい活躍を見せています。チームともども、このまま頂点まで駆け上がっていきそうな勢いです。
坂原秀尚監督の熱意
全国3549校の頂点に立ったのは、宮城の仙台育英でした。5投手を起用する「全員野球」を結実させた須江航監督は、素晴らしいの一言に尽きます。社会人野球も同じですが、一発勝負の中で、チームに必要な選手を全員使うというのは理想的である半面、とても難しい。例えばケガの状態など、日頃から選手をしっかり観察していなければ成し得ないことです。
惜しくも決勝で涙を呑んだ山口の下関国際ですが、こちらも坂原秀尚監督の下、立派に戦いましたよね。全5試合にリリーフした仲井慎投手の投げっぷりや、大阪桐蔭戦で逆転タイムリーを打った4番・賀谷勇斗選手の勝負強さは特に印象的でした。アルプススタンドから聞こえる大声援も、選手の力になったことでしょう。
そんな下関国際ですが、20年ほど前には部員の不祥事もあって人数が激減し、廃部の危機に追い込まれていたそうです。その窮地を救ったのが坂原監督でした。2005年に監督に就任すると、選手と徹底的に向き合ってチームを再建。就任18年目にして甲子園準優勝にまで導いたわけですから、本当に頭が下がる思いです。
このエピソードを聞いてふと思い出したのが、私も愛媛マンダリンパイレーツの監督として立ち会った「四国アイランドリーグ」の旗揚げです。球場やスポンサー探しなど、すべてがゼロからのタートの中、創設者の石毛宏典さんらと試行錯誤したことを覚えています。実は、それは坂原監督の就任年と同じ05年の話。何だかますます、当時の自分が重なります(笑)
選手層の厚さで明暗
プロ野球に目を向けると、セ・リーグの首位を独走していたヤクルトが一時、横浜DeNAに4ゲーム差まで迫られましたが、8月終了時点で再び6.5ゲーム差に広げました。ヤクルトの失速は元はと言えばコロナの集団感染が原因でしたから、主力が戻ってきた今、7月のように負けが込むことは考えづらいですね。
ヤクルト打線の中心にいるのが、最年少(22歳)での三冠王も射程に入れている村上です。我々が子供の頃に見ていた王貞治さんもそうでしたけど、とにかくミスショットが少ない。自分の打てる球をしっかり打つ、ピッチャーの失投を見逃さない、というのはいつの時代も良いバッターの第一条件ですね。
ただ、ヤクルトの強みは4番の村上だけじゃないところです。村上の後には、ホセ・オスナやドミンゴ・サンタナ、新加入のパトリック・キブレハンも控えている。当然、ピッチャーは村上ひとりに神経を集中させられないわけですから、文字通り束になって掛かれますよね。やはり最終的には選手層がモノを言う、そう痛感させられるヤクルトの打線です。
パ・リーグはと言うと、残り10試合くらいまで勝負は見えてきそうにありませんね。絶対的なピッチャーが、オリックスには山本由伸、宮城大弥と2枚いますし、東北楽天も田中将大投手が復調気配。埼玉西武はリリーフを含めて投手力が充実しており、福岡ソフトバンクも藤本博史監督が上手くやり繰りしていますから、どこのチームにも優勝の可能性はありますよ。
それでは今回のコラムはこのへんで!プロ野球はリーグ戦、ポストシーズンのみならず、10月20日にはドラフト会議も行われます。そこでもどのようなドラマが起こるか、今から期待が高まるところです。
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