終戦の日、たまたま私は広島市民球場で広島対巨人17回戦をゲスト解説していた。
7回表、1対1と同点の場面。巨人は代打・清水隆行の送りバントが決まり一死二、三塁。
ここで三塁ベースコーチの伊原春樹は、三塁走者の李承に「敬遠もあるぞ」と告げた。一塁ベースコーチの西岡良洋もボールから目を切っていた。
この、ちょっとした油断を広島の二塁手・山崎浩司は見逃さなかった。グラブにボールを隠し持ったままスルスルッと二塁走者の阿部慎之助に駆け寄りタッチした。「隠し球」が見事に決まった瞬間だった。
事情を飲み込めない阿部は、キツネにつままれたような表情を浮かべていた。
試合後、山崎はいつものポーカーフェイスで
「一塁コーチと三塁コーチがこちらを見ていないのを確認してボールをグラブに隠した」
と明かした。
事前に周到な準備を行なっていたのだ。
放送席にいたアナウンサーが言った。
「いやぁ、アナウンサー人生で一回くらい“隠し球”を実況放送したいですねぇ……」
気持ちは分かるが、それは無理だろう。もし放送席から“隠し球”を見破れる眼力の持ち主ならマイクなど持たずにベンチに入っていたほうがいい。
確認したわけではないが、メジャーリーグでも“隠し球”を実況放送したアナウンサーは皆無だろう。
山崎はこの日、敵のフィールド・プレーヤーとベースコーチ、監督のみならず2万人近い観衆の全員を欺いたのだから、これはもはや「真夏の夜の完全犯罪」と言っても過言ではあるまい。
このプレーで初めて山崎浩司という選手の存在を知ったというプロ野球ファンも少なくあるまい。
お世辞にも“華”のあるプレーヤーとは言えない。ポロシャツを着て六本木を歩いていても、おそらくサインを求められることはないだろう。
1998年、大産大付高からドラフト3位で大阪近鉄バファローズに入団するが泣かず飛ばず。04年オフ、球団合併でオリックスの支配下選手となるが、中継ぎサウスポー菊地原毅とのトレードで上村和裕とともに広島に移籍した。
移籍したした05年、レギュラーだった尾形佳紀の故障もあり、自己最多の96試合に出場した。しかし、昨季はブラウン構想からはずれ、わずか27試合に出場したのみだ。シーズンオフには球団にトレードを直訴している。
昨季までの通算成績は126試合に出場して、通算打率2割1分1厘、1本塁打、10打点、1盗塁。年俸はわずか1100万円。
地味を絵に描いたような男が演じた一世一代の大芝居。
「隠し球」に遭遇できる確率はサヨナラホームランよりも、はるかに低い。いいものを見せてもらったと感謝したい。
<この原稿は07年9月16日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>
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