日本人初となる3階級制覇を達成し、世間に“亀田ブーム”を巻き起こした亀田興毅さん。波乱の連続だったボクシング人生と、これからのボクシング界について、当HP編集長・二宮清純と語り合う。

 

二宮清純: 引退されてからどのくらいたちますか。

亀田興毅: 2018年にプロライセンスの再交付を受けましたが、実質、15年10月の試合が最後なので7年になります。

 

二宮: お会いした瞬間、「細いなぁ」と思ったのですが、7年たっても体形が全く変わりませんね。お酒もあまり飲んでいない?

亀田: 今は嗜む程度です。

 

二宮: “今は”というのが気になります(笑)。現役時代は修行僧のような生活でしたもんね。

亀田: 3階級制覇するまでは、一滴も飲んでいません。本格的に飲むようになったのは引退後、それこそ付き合いとか、営業とかで飲むようになりました。性格上、やると決めたら徹底的にやるもんですから、それこそめちゃくちゃに飲んでいたんです。代謝がよいのか、酔っ払うという感覚もほとんどありませんでした。でも、その行き着いた先が「亀田興毅、急性アルコール中毒で緊急搬送」というニュースで……。

 

二宮: そのニュース、私もびっくりしました。大変な話題になっていました。

亀田: でも、実際はただ寝ていただけなんです。友人とバーで飲んでいて、二次会に向かうタクシーの中で眠ってしまいました。途中、運転手さんが声を掛けても反応がなかったようで、心配になって交番に寄り、それでも起きないので救急車で病院に搬送され、着いてすぐに目を覚ましました。

 

二宮 体調を崩したのではなく、ただ寝ていただけだったと?

亀田 はい。確かに、その日はかなり飲んでいましたが、そもそも私の特異性というか、一度寝たら3時間は何をされても起きないんです。それで特に治療を受けることもなく、そのままタクシーを呼んで家に帰りました。

 

二宮 それがなぜ急性アルコール中毒ということに?

亀田 たぶん、酒を飲んで救急車で運ばれたという事実だけが広まったのでしょう。朝起きたら世界チャンピオンになった時よりも、留守電やメールが多く届いていました。親父(史郎さん)からも電話で「お前、何しとんのや!」と怒られて……とてもいい勉強になりました(苦笑)。

 

二宮: それで嗜む程度になったわけだ(笑)。お父さんの話題が出たので、子どものころのことをお聞きしたいのですが、お父さんの勧めで空手をしていたそうですね。

亀田: 4歳ごろから無理やり連れていかれてやっていました。親父の夢は兄弟3人(次男・大毅さん、三男・和毅さん)をボクシングの世界チャンピオンにすることで、空手の間合いの取り方が、ボクシングに生きるということでやらせたようです。

 

二宮: なるほど。当時、体は大きい方でしたか。

亀田: いえ、小さい方でよくいじめられていました。そういえば小学1年生のころ、こんなことがありました。私が3~4人のランドセルを持たされて帰ってきたことがあって、それを見た親父が、「そんなことしたらあかんやろ。おっちゃんが見といたるから、正々堂々と1対1でケンカせぇ」と言ったんです。

 

二宮: 小学1年生にして、お父さんのマッチメイクが始まっていたわけですね。

亀田: そうなんです(苦笑)。当然、小突きあい程度でしたが、翌日には仲良くなりました。この時が、「亀田興毅」としての第一歩だったような気がします。

 

二宮: 昔、亀田さんが協栄ジムにいたころに練習を見せてもらいましたが、その時は砂袋を持って「すり足」をする相撲のようなトレーニングをやっていました。他にも、近距離から投げられたピンポン玉や竹刀の先に付いたグローブを避けるトレーニングなど、独創的な練習がありましたね。

亀田: どれも親父が自分で考えたトレーニングです。当時は、そのユニークさが話題になりましたが、すべて理にかなったものでした。実際、今では海外の一流トレーナーが、親父がやっていたようなトレーニングを導入しています。

 

二宮: 先見性があったんですね。他にはどんなトレーニングを?

亀田: 直径6センチくらいの小さな丸太をストーブの周りに4個置いて、大毅と2人でその上に3分間つま先立ちし続け、体幹とバランス能力を鍛えるものがありました。ボクシングはバランス感覚が重要で、不安定な足場で体勢を維持することは、パンチを避けてすぐ打ち返すという能力の向上につながります。

 

二宮: 原始的に見えるようで、実はよく考えられていたわけですね。練習量も多かったのでは?

亀田: それこそ毎日、死ぬほど練習しました。朝起きてだいたい10キロ弱ぐらい走り、そこから親父とトレーニングしてジムへ行く。昼を挟んで、今度は夕方まで3~4時間みっちり練習です。

 

二宮 朝からほぼぶっ通しですね。一番キツかったトレーニングは?

亀田 打ち込みの練習ですね。1ラウンドに約300発のパンチを繰り出し、それを12ラウンド。しかも、重りの付いたベストを着て、両手にも重りを付けて、さらにマスクをして剣道の面をかぶって打ち続けるんです。

 

二宮 まさに“世界チャンピオン養成ギブス”だったわけだ。

亀田 もうむちゃくちゃです(苦笑)。でも、そんな練習の積み重ねがあったからこそ土台ができた。その意味では、2003年に17歳でプロデビューしてから05年の東洋太平洋タイトル(OPBF東洋太平洋フライ級)を獲得するまでが、私のピークだったかもしれません。誰とやっても全く負ける気がしなかった。それこそ、その後は当時の練習の貯金だけで勝っていったようなものです。

 

(詳しいインタビューは11月1日発売の『第三文明』2022年12月号をぜひご覧ください)

 

亀田興毅(かめだ・こうき)プロフィール>
1986年11月17日、大阪府大阪市出身。幼少期から父・史郎の勧めで空手を習い、11歳でボクシングを始める。中学卒業後は、ボクシングに専念するため高校に進学せず、アマチュアボクシングで活動。2003年、17歳でプロテストに合格し、プロボクサーになる。06年、ファン・ランダエタを破り、WBA世界ライトフライ級王座を獲得。09年には内藤大助に勝利し、WBC世界フライ級王者となる。10年、アレクサンデル・ムニョスとWBA世界バンタム級王座決定戦を行って勝利。日本人選手初となる3階級制覇を達成した。その後、同王座を8度防衛し、15年に現役を引退。その後、18年に現役復帰するも、同年に2度目の引退をした。21年にボクシングジム「3150ファイトクラブ」(現・KWORLD3ボクシングジム)を開設し、会長に就任。現在は会長職を弟・大毅に譲り、株式会社亀田プロモーション代表取締役社長として、ボクシングイベント「3150FIGHT」を主催するなど、ボクシング界の発展に尽力している。プロ成績は35戦33勝(18KO)2敗。


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