4年連続6回目の出場となる箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)を控える創価大学陸上競技部駅伝部。その礎を築いた総監督の瀬上雄然さんと、当HP編集長・二宮清純が、選手強化の拠点である白馬寮で対談した。

 

二宮清純: 創価大駅伝部は、今年度初めて大学三大駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝競走、全日本大学駅伝対校選手権大会、箱根駅伝)に出場するなど、著しい躍進を遂げています。今年、陸上競技部が創部50周年を迎えたと聞きましたが、この間ご苦労もあったでしょう。今日は、そうしたエピソードも含めてお聞きしたいのですが、まずは瀬上さんが駅伝部に来られたきっかけを教えてください。

瀬上雄然: 2006年12月、前部長だった織田良一さん(現・名誉監督)から突然電話があって、「一度会ってもらえないか」と言われました。私自身、創価大学のことをよく知らなかったので、家族と一緒に大学を見学に行き、その後しばらくしてから正式にコーチのオファーをいただきました。

 

二宮: 瀬上さんは現役時代、スズキ株式会社陸上競技部の長距離選手として活躍されたそうですね。

瀬上: 活躍なんて大それたものではありませんが、全日本実業団対抗陸上競技選手権大会では5000mで2位に入賞、びわ湖毎日マラソンでは6位に入賞するなどしました。でも、その後は伸び悩み、31歳で現役を引退しました。

 

二宮: 将来的に長距離走の指導者になりたいという気持ちはあったのですか。

瀬上: そのつもりはなかったですね。引退後は、母校である御殿場西高校陸上部のコーチを務めていましたが、特別養護老人ホームに勤務していました。天職と思えるほどやりがいのある仕事だったので、将来的にケアマネジャーの資格を取るつもりでした。

 

二宮: そうすると、創価大からのオファーはある意味、青天の霹靂だったわけですね。

瀬上: はい。すごく光栄だった半面、まだ幼い子どもがいたので躊躇もしました。でも、せっかくいただいた話でしたし、大学駅伝にも興味があったので、引き受けて単身でこちら(東京都八王子市)に越してきました。

 

二宮: 初めて部員を見た時の感想は、どうでしたか。

瀬上: 当時は、ピアスをしていたり、茶髪だったりする子もいて、正直、「ここからチームを作り上げていくのか」という感じでした(苦笑)。一方で、「5年くらいあれば何とかなるかもしれない」という思いもありました。箱根初出場を決めたのが2014年ですから、少し時間はかかりましたが……。

 

二宮: でも、そこから現在の躍進の歴史が始まったわけですから、決して遅くはない。過去のインタビュー記事を拝読したのですが、周囲のいろいろな人たちから「ありがとう」と言われることが印象的だったそうですね。

瀬上: なかなか結果が出せない苦しい状況の中で、「頑張って」という励ましの言葉はあっても、批判めいた言葉は一つもありませんでした。むしろ、何かにつけて感謝をされるのです。その時にいただいた「ありがとう」の言葉は、私の宝物になっています。こうした温かい応援が心の支えになっていたので、初めて箱根に出場した時には、「これで一つ恩返しができた」という思いでした。そして、それは今も変わらず駅伝部の大事なテーマの一つになっています。

 

二宮: 練習方法については、いろいろなメソッド(手法)を持ち込まれたと思いますが、どの辺を重点的に指導されたのでしょうか。

瀬上: 具体的な練習メニューは、世界陸上競技選手権のマラソン日本代表経験のある久保田満コーチ(現・ヘッドコーチ)に作ってもらい、私は選手たちの生活面をサポートすることに注力しました。

 

二宮: 選手といっても本分は学生。だからこそ、学生生活をいかに送るかは大事ですね。

瀬上: おっしゃる通りです。親御さんにも、「4年間、創価大学に預けて本当によかった」と思ってほしかった。ですので、体調管理はもちろん、単位取得状況にも気を配りました。

 

二宮: 先ほど、寮内を見学させてもらいましたが、新しい寮を構想するに当たって、駅伝部として何か要望はされたのでしょうか。

瀬上: お金のかかることなので申し訳ないなと思いつつ、いろいろな提案をさせてもらいました。その上でもっとも大切にしたのは、現場の責任者である榎木和貴監督の意見です。これは寮だけの話ではありませんが、とにかく榎木監督がやりやすい環境を作ることを心掛けています。それが総監督の唯一の仕事といっても過言ではありません(笑)。

 

二宮: そんなことはないでしょう(笑)。でも、その役割分担が駅伝部躍進の要因の一つなのかもしれませんね。瀬上さんは現在、この寮にお住まいとのことですので、選手たちの寮生活についてもお聞きします。駅伝強豪校ともなると世間から注目され、時には好奇の視線を向けられることもあるでしょう。その点、寮でも厳格に指導されているのでしょうか。

瀬上: 自主性を重んじつつ、基本的には榎木監督が緻密にルールや計画を立て、それに沿って寮生活を送っています。それを私がフォローするような形です。

 

二宮: 昔と今の大きな違いの一つにSNSの存在があります。情報発信に役立つ一方、トラブルのリスクもあるわけですが、何かルールは?

瀬上: 入部式でSNSの講習会を開催しています。ありがたいことに駅伝部アカウントへのアクセス数も大きく増えていますが、逆にいえば、悪意のある人たちに狙われやすくもなる。特に、誹謗中傷と受け取られかねない内容の書き込みについては注意を払っています。

 

二宮: 寮の門限や飲酒については?

瀬上: 門限は夜9時で、10時には消灯です。寮内での飲酒は原則禁止ですが、学生から事前に飲酒の申し出があれば、食堂での飲酒は許可するようにしています。というのも、コロナ禍以前は気分転換にみんなで外食することもありましたが、コロナ禍になってからは難しくなりました。だから、せめて寮の食堂では楽しめるようにしたのです。

 

二宮: ストレス発散の意味でも、適度な息抜きは必要でしょう。それにしても、これだけの施設を備えた寮を持っているところは少ないでしょうね。

瀬上: 学生駅伝界では、一番の環境だと自負しています。だからこそ、大学側や応援してくださる皆さんへの感謝は尽きません。

 

(詳しいインタビューは12月1日発売の『第三文明』2023年1月号をぜひご覧ください)

 

瀬上雄然(せがみ・ゆうぜん)プロフィール>
1962年1月11日、静岡県御殿場市出身。御殿場西高校卒業後、スズキ自動車で実業団選手として活躍。1989年の第44回「びわ湖毎日マラソン」では6位入賞を果たした。現役引退後は、御殿場西高校陸上部で長距離・駅伝指導に携わる傍ら、地元の特別養護老人ホームに勤務。2007年、創価大学陸上競技部駅伝部のコーチに就任し、13年に監督就任。監督2季目で同部を初の箱根駅伝出場へと導いた。19年、総監督に就任。現在は榎木和貴監督や選手のフォローに尽力するとともに、スカウト担当として有望な選手の発掘に取り組んでいる。


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