日本が誇る名サイドバックの駒野友一が2022年シーズン限りで現役を引退する。

 

 サンフレッチェ広島ユースから2000年にトップ昇格し、広島、ジュビロ磐田、FC東京、アビスパ福岡、FC今治と渡り歩いてきた。J1、J2、J3、JFLとあらゆるカテゴリーでプレーし、リーグ戦出場数は600を超える。日本代表でも78キャップを誇り、2006年のドイツ、10年の南アフリカとワールドカップに2大会連続出場。正確なクロスと無類のタフネスを持ち味に、左右どちらとも遜色なくこなせる器用さもあって内田篤人や長友佑都が台頭してくるまでは「サイドバックと言えば駒野」と、長らく抜きん出ていた存在であった。

 

 41歳となる今シーズンはケガに苦しめられながらも、終盤戦に入って調子を上げてきてここまで17試合に出場。20日のJ3最終戦、アウェーのヴァンラーレ八戸戦を最後にスパイクを脱ぐ。

 

 頼りがいのある人だ。

 8月28日のアウェー、鹿児島ユナイテッド戦。チームが新型コロナウイルスに集団感染したことで2種登録のユース2選手を含めて15人のメンバーで臨み、4-3で勝利した。夏場の試合ながら駒野は今季初めて90分フル出場し、最後まで声を張り上げてチームを奮い立たせる姿があった。

 

 駒野がFC今治の岡田武史会長から「J3昇格の力になってほしい」と直接口説かれて、今治にやってきたのがJFL時代の2019年。恵まれているとは言えない環境を受け入れ、順応しようとした。

 

「環境面で厳しいと思われることも受け入れて今治に来ているので、特別何かっていうことはないです。ただ、体の負担を考えると、人工芝のグラウンドでの練習はちょっときついなっていうのはありました。

 あとはバス移動ですかね。最長で6時間。月に1度ならいいんですけど、奈良、三重と月2回あったときはメンタル的にも“ああ、またこの道か”っていうのはありました。体も固まってしまうんで、ちょっとずつ動かしていかなきゃいけなかったですね」

 

 厳しい環境にも馴染み、最年長の橋本英郎とチームを引っ張っていく。岡田さんに恩返しを--。その思いも大きなモチベーションとなった。J3から、今度はJ2へ。新たな目標を立て、まい進していく彼の姿があった。

 

 今年3月、ホームでのFC今治の開幕戦を取材した翌日、グラウンドで別メニューに取り組んでいた駒野に会った。

 

「何とか頑張りますよ」

 挨拶程度の会話を交わしただけだったが、黙々とひたむきに取り組むその姿勢は若いころと何ら変わらない。だから彼は尊敬され、愛され、そして信頼されているのだとあらためて感じることができた。

 

 岡田とのつながりで言えば、あの南アフリカワールドカップである。

 PKを外したラウンド16のパラグアイ戦ばかり取り上げられてしまうが、大会を通して安定したパフォーマンスが光った。グループリーグ、ラウンド16と4試合すべてに先発。攻め上がる回数はそう多くはなかったとはいえ、守備に対する意識を強めて右サイドを決壊させなかった。

 

 のちにあのPKのことを語ってくれたことがある。

「申し訳ない気持ちが大きいですよ。もし自分も決めてPK戦に勝っていればベスト8に行けたわけだし……。PK戦は時の運とか言うけど、自分のなかではそう受け止めていませんね」

 

 だがこの悔しい経験をバネに、もう一度ワールドカップ出場を目指そうとした。2013年7月、韓国で開催された東アジアカップ(現E-1選手権)ではキャプテンマークを巻いて優勝に貢献。ぎこちなく優勝カップを掲げ、チームメイトの笑いを誘っていた。結果的にはブラジルワールドカップのメンバーに選出されなかったものの、歯を食いしばってチャレンジしたことこそに意義があった。

 

 どんなことがあろうとも、どんな環境にあろうとも、駒野友一はタフネスぶりを発揮してきた。ピッチ内もピッチ外も力いっぱい駆け抜けた23年間の現役生活であった。


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