第251回 小野伸二との出会い ~楽山孝志Vol.4~

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 楽山孝志は中学3年生のとき、静岡県に引きつけられることになった。

 

 富山県のFCひがしの一員として15才以下の日本クラブユースサッカー選手権に出場している。この大会で優勝したのは清水エスパルスのジュニアユースチームだった。エスパルスの選手の顔を見てはっとした。市川大祐たちとは小学校6年生のときにも対戦したことがあったのだ。

 

 この静岡県に遠征し、清水エスパルスユースと練習試合もしている。0対5の完敗だった。このときFCひがしは清水市(現・静岡市清水区)の日本閣という旅館に宿泊した。宿のあちこちには、サッカーに関する写真、ユニフォーム、サインがところ狭しと飾られていた。その中には清水商業高校(現・清水桜ヶ丘高校)が全国制覇したときの写真もあった。このとき、楽山は静岡県には清水エスパルスがあり、サッカーが盛んであるという認識はあったが、それ以上の知識はなかった。

 

「日本閣にあった写真を見て、おじさんにここ、サッカー強いんですね、と聞いたんです。おじさんにはぼくが将来プロサッカー選手になりたいという話もしました。そうしたら、ここに来てサッカーしたらどうかと言われたんです」

 

 “おじさん”の名は西川昭策という。

 

 西川は、清水商業サッカー部を日本屈指の強豪校に押し上げた地元協力者の一人である。日本閣は清水商業から1キロほどの場所にあった。清水商業サッカー部が86年に高校選手権を制した後、大滝雅良監督の元でサッカーをしたいという選手たちが全国から集まっていた。彼らは近くのアパートに住み、日本閣で風呂に入り、食事を取っていた。やがて彼らのサッカーに対する熱意にほだされた西川は、朝の練習に間に合うように日本閣を寮にしてはどうかと提案した。この日本閣から名波浩など多数のJリーガー、日本代表選手が巣立っている。

 

 清水ユース戦での手応え

 

 清水エスパルスユースに惨敗した中、自分の持ち味は出せたのではないかという手応えが楽山にはあった。西川もそんな楽山に可能性を感じていたようだ。

 

 楽山は富山に戻ると、静岡県内の高校を調べた。

 

「まず静岡学園ですよね。各選手が高い技術をも持っていたし。ドリブルで相手のディフェンスラインを切り裂くプレーが中学生の子どもにとっては魅力的に映ったんです。でも私立で学費が高い。一人暮らしのお金も掛かりますよね。そこまで親に負担はかけられない。清水東と藤枝東は、偏差値が高い。勉強は好きで、成績は悪くなかったんです。ただ、(卒業生が)東大に行くような学校はきびしいかなと。公立高校で、サッカーが強いとなると清水商業が1番適していた」

 

 そして西川の紹介で清水商業の練習参加することになった。大滝監督は楽山の顔を見ると、ひとりの選手を呼び2人組になるように指示した。

 

「(練習中から)大きな声を出している人で、堂々としているというか存在感が凄かった。三年生かと思っていたら、ぼくよりも1学年上の1年生でした」

 

 “さっきの人”とは……

 

 二人は離れて、ボールを蹴り合った。ロングキックの練習である。楽山の蹴ったボールはその一年生から少し離れたところに飛んだ。彼はボールを追いかけ、右足を振り抜いた。するとボールは測ったように楽山の胸の位置に飛んできた。たまたま、と思っていると、次のボールも同じ場所に返ってきた。その次のボールもだった。彼は長いパスを的確に蹴ることができた。簡単に、そして楽しそうにボールを扱うことが印象的だった。

 

(この人、何なんだ)

 

 楽山は心の中で呟いた。

 

 その後、主力選手によるAチームとBチームの紅白戦になった。楽山はピッチサイドで見学である。Aチームの中心に入ったこの一年生は、次々と的確なパスが出した。

 

 Aチームは高円宮杯ユースサッカー選手権大会(18才以下)を3連覇していた。3年生の松原忠明、大石玲はエスパルスに、小林弘記はジュビロ磐田に、谷池洋平はヴィッセル神戸に、藤元大輔はアビスパ福岡に進むことになる。この年代で日本屈指の選手が集まっていた。その中でもこの一年生の力はひときわ飛び抜けていたのだ。

 

 この1年生とは、後に日本代表となる小野伸二である。

 

 小野は年に静岡県沼津市で生まれた。早くから将来を嘱望された選手だった。13才のとき16才以下の日本代表に選ばれていた。

 

「ぼくは富山にいたせいもあって、全国の情報に疎かった。今でもはっきり覚えているんですけれど、日本閣に戻ったら、(専門誌の)サッカーダイジェストがあったんです。開いたら、何かの大会の試合について書いた記事があった。その写真に写っていたのが小野さんだったんです。あれ、さっきの人いるじゃんって」

 

 良くみると、日本閣に貼ってあったポスターにも小野の写真が大きくあしらわれていた。

 

 小野さんという天才と出会ったことが清商(清水商業)を選ぶ決め手になったんです、と楽山はいう。

 

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com

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