第252回 学ぶべき人がいる清商サッカー部 ~楽山孝志Vol.5~

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 1996年4月、楽山孝志は静岡市立清水商業(現・清水桜ヶ丘高校)に入学した。すでにJリーガーを多数輩出していたサッカー部には全国から選手が集まっていた。楽山は「数えたことはないですけど、3学年合わせて100人以上いたのではないか」と振り返る。

 

 主力のAチーム、そこに続くBチームがそれぞれ2、30人程度。楽山は入学直後、それ以外のCチームに振り分けられている。

 

 清水商業では練習の終わりに、AチームとBチームによる紅白戦を、Cチームの選手たちはそばにある狭いコートでミニゲームを行う。「(Cチームの)5、60人で回すのですが。そこにいる限り、トップの試合には絡めない」

 

 こうしたヒエラルキー、そして運動部特有の上下関係に嫌気がさし、退学していったJリーグの下部組織出身の選手もいた。

 

 どんな状況であれ、そこで学ぶべき人間を見つけるか、見つけないかで人生が変わることがある。楽山は前者だった。

 

 1人目は、1学年上の小野伸二である。

 

 清水商業の練習は夕方6時半ごろ終了する。楽山、そして小野たちは近くの日本閣を寮としていた。そのため、小野がどのような生活をしているのか知る立場にあった。楽山の目を引いたのは、小野たちAチームの選手たちの練習量だった。

 

「レギュラーメンバーの多くは全体練習が終わってから、パスとかシュートとか自分たちで課題を見つけて、居残り練習をしている。結局、寮に戻ってくるのは夜の8時半頃でした」

 

 楽山も小野に倣って、一緒に居残り練習をすることになった。

「みなさんはサッカーの上手な小野さんしか知らないと思いますけど、一番素晴らしいのは小野さんの人間性」

 

 楽山はもう国宝級ですよ、と笑う。

 

「当時毎回練習が終わった後、ボールの片づけ、土のグラウンドの整備をするじゃないですか。そうしたら小野さんが真っ先にダッシュでトンボを掛けに行く。ボールの片付けも全て行う。一番上手い人が率先してやるので、ぼくら試合に関与していなかった選手のトンボ掛け、道具の片付けの速度がどんどん早くなっていくんです」

 

 サッカーと真摯に向き合う同年代との寮生活は楽しいものだった。

「当時寮生は3学年で10人位いましたね。毎日、練習が終わって帰ってくると、宴会場にテーブルが置いてあって、みんなで食事を行い、毎日トレーニングの話や他愛のない話をする。プレーで悩んでいる人がいると、小野さんがアドバイスをすることもありました。小野さんのような“トップ中のトップ”の選手と寝食共に一緒に過ごした高校での寮生活は本当にかけがえのない時間でした」

 

 戦う姿勢や規律の徹底

 

 サッカー部の監督だった大滝雅良にも影響を受けた。

 

 大滝は清水商業卒業後、拓殖大学を経て、74年から母校の教師となり、85年に清水商業を高校選手権初優勝に導いている。このときのメンバーには、Jリーガーとなる真田雅則、江尻篤彦などがいる。

 

「ぼくらが居残り練習をしていると大滝先生は全体練習が終わっても帰らずにずっと見守っている」

 

 ピッチサイドで佇む大滝の姿が、指導者になった今も消えない。

 

「大滝先生がいつも我々に口酸っぱく伝えていたのは、“当たり前のこと、簡単なことを細部までしっかり行う”こと。生活面でいえば、時間を守ること。トレーニングでは球際で一歩でも50cmでも相手に寄せる。ボールを奪われたら、きちんと奪い返しに戻るなど戦術面の前に、サッカーの基本である戦う姿勢や規律の徹底を求められました」

 

 楽山が時折、Bチームに入るようになったのは高校1年の終わりだった。そして、2年生になってから、Aチームの公式戦の出場の機会が与えるようになった。

 

「すでに(同級生の)池田(学)、小林(宏之)は試合に出ていました。(静岡)県外からきた中で試合に出たのは、自分が最後でした」

 

 池田は高校卒業後に浦和レッドダイヤモンズへ、小林は筑波大学を経てやはり浦和レッズに加入する。

 

 楽山のポジションは4-4-2、中盤のサイドハーフだった。やはり感銘を受けたのは小野のプレーだった。

 

「コミュニケーションをとらなくても周りのイメージしていることを瞬時に察知し、パスの受け手側のことを考えた優しいパスを出す。周りが小野さんの持つイメージとテンポについていけず、リズムがずれても、周りに合わせてくれる。状況を読む力、背中に目が付いているほどの視野の広さ、ボールを扱う技術など全てにおいて高校生のレベルを超越していました」

 

 具体的には、足が速い選手にはそのスピードを殺さないように1、2mほど前にパスを出す。

「長いロングパスではパスの回転、弾道にまで全てのパスにメッセージが込められていました。パスに見慣れた我々も“パスにメッセージを込めること”がスタンダードになりました」

 

 この高校2年生のとき、人生を変えるもう1人“恩師”と出会うことになる。

 

 李国秀である。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com

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