44歳の工藤公康(横浜)が7月24日、古巣の巨人から勝ち星をあげ、プロ野球6人目の全球団勝利を達成した。
 その工藤よりも一足先に全球団勝利を達成していたのが42歳の吉井理人(千葉ロッテ)である。

 オリックス時代の昨年3月29日、東北楽天から白星をマークし、球界5人目の偉業をなしとげていた。
 ちなみに、個人の多球団勝利記録は緒方俊明(巨人−西日本−西鉄−東急(東映))の15。球団数が多かった時代のことだから、日本球界がエクスパンション(球団拡張)でもしない限り、もはやこの記録を塗り替えることはできない。

 もっともメジャーリーグでの記録も含めるとなると話は別だ。
吉井は98年から5年間、ニューヨーク・メッツ、コロラド・ロッキーズ、モントリオール・エクスポズでプレーしている。メジャー5年間の通算成績は32勝47敗。調べてみるとメジャー15球団から勝ち投手になっている。日本での12球団を加えると、実に27球団から白星をあげているわけで、これは隠れた大記録と言っても過言ではあるまい。

 しかし、上には上がいるものだ。
 野茂英雄は日本で5球団、メジャーリーグでは29球団、計34球団から白星をあげている。ナショナル・リーグとアメリカン・リーグの両方で活躍したのが大きな理由だが、これを破るとしたら松坂大輔(レッドソックス)くらいしか思い浮かばない。

 いささか前置きが長くなった。この6月、吉井は自ら志願してオリックスから千葉ロッテに移籍した。オリックスのテリー・コリンズ監督の方針が「若手の先発投手を育てたい」というものだったため、居場所がなくなった吉井は自らを必要としてくれる球団を求めた。

 千葉ロッテのボビー・バレンタイン監督は吉井のメッツ時代のボス。「6番目のスポットに入ってくれ」とスターターの地位を与えられた。
「こういうと(古巣に)悪いけど、オリックスと千葉ロッテではピッチャーの質が違う。クライマックスシリーズに出られる可能性も高いのでやりがいありますね」
 新天地での豊富を吉井はこう語った。

 オリックスを出る際、清原和博には「ヨシさん、勝負に出ましたね」と声をかけられたという。42歳という年齢もあり、後悔したくないとの思いが吉井には強かったようだ。
 ピッチングの酸いも甘いも噛み分けてきた。日本で17年、メジャーリーグで5年、計22年もバッターと対峙し続けてきた経験はダテではない。その吉井が今、最も自信を持っているのがチェンジアップ。

「アメリカで覚えたのですが、当初は5割くらいしか狙ったところに投げられなかった。今は8割まで狙ったコースに投げ分けられます」
 オールスター前に2軍落ちしたが、吉井は一日も早い1軍復帰を誓っている。

<この原稿は07年8月12日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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