テレビのバラエティー番組でおなじみの松村邦洋さん。野球の知識も豊富で、高校野球に関する著書も出している。そんな松村さんと当HP編集長・二宮清純が、マニアックな野球談議に花を咲かせる。

 

二宮清純: いつものように親しみを込めて「まっちゃん」と呼ばせてもらいます。

松村邦洋: もちろんです。今日は二宮さんと野球の話ができるということで、楽しみにしてきました。

 

二宮: まっちゃんは、熱烈な阪神タイガースファンとして有名ですが、いつ頃から阪神ファンだったのでしょうか。

松村: 小学校の頃からです。私は山口県の田布施町で生まれ育ったので、周りは広島カープのファンが多かったのですが、父親が熱烈な阪神ファンでした。とにかく、巨人が負けていれば機嫌がいいというタイプです。

 

二宮: いわゆる“アンチ巨人”ですね。

松村: はい。私が小学校に入る時、おばあちゃんが野球帽を買ってくれたのですが、よりによって「YGマーク」の帽子でした。父親は「そんな帽子をかぶっていたら、ろくな人間にならないぞ」と即没収されました(苦笑)。

 

二宮: それは手厳しい(笑)。当時の阪神には、どんな選手がいましたか。

松村: 田淵幸一さん、遠井吾郎さん、掛布雅之さん、外国人ではハル・ブリーデンさん、マイク・ラインバックさんなどが活躍していましたね。

 

二宮: ああ、その時代ですか。その前にはウィリー・カークランドさんもいましたね。カークランドさん、田淵さん、遠井さんと打線の主軸がみんな重量級だったのを覚えています。満塁になって、6番打者がヒットを打っても全員がドシンドシンと走るから、一人しかホームインできず、三塁もギリギリセーフ。まるで出始めの頃の野球盤のようでした(笑)。

松村: 相撲に準えて「阪神部屋」と呼ぶ人もいましたね。もっとも、その屈辱があったからこそ、今の熊谷敬宥選手や近本光司選手や中野拓夢選手といった「足の阪神」が生まれたと、私は勝手に思っています(笑)。

 

二宮: 本拠地の甲子園球場は広いから、足の速い選手がキーになりますね。

松村: 盗塁王は1956年に吉田義男さん(後の阪神監督)が取って以降、2001年に赤星憲広さんが取るまで、40年以上も阪神から出てこなかった。03年に赤星さんが、61盗塁を記録し、吉田さんがマークした球団記録の51盗塁を抜きました。その時、吉田さんが赤星さんに、「私の記録を抜いた君の今の気持ちを知りたい」と聞いたところ、赤星さんが「ああ、あれは吉田さんの記録だったんですね」とそっけなく答えて、吉田さんの表情が曇ったのを覚えています。

 

二宮: よく見ているなあ(笑)。阪神は1985年に21年ぶりとなるリーグ優勝、そして日本一を達成しました。あの時、まっちゃんは高校生くらいですか。

松村: 留年していたので2回目の高校2年生の時でした。春先からやたらとホームランが多く、打率も阪神の選手が上位を独占していて、いつもと様子が違っていた。町で出会う友人・知人とのあいさつも、決まって「阪神は強いねえ」というフレーズでしたね。

 

二宮: 4月17日の対巨人戦で記録した3番ランディ・バースさん、4番掛布さん、5番岡田彰布さんの「バックスクリーン3連発」は、伝説の名場面です。

松村: バースさんは、開幕戦で3打席連続三振だったので、対戦相手の槙原寛己さんにも多少の気の緩みがあったんじゃないでしょうか。それがバースさんに特大ホームランを打たれ、おまけに逆転の3ランだったので、動揺してさらに掛布さん、岡田さんにも打ち込まれた。そういえば、続く6番の佐野仙好さんに対して監督の吉田さんが「こうなったら4連発や! 佐野頼むで」とハッパをかけたら、佐野さんガチガチになって打ち取られてしまいました。

 

二宮: 吉田さんも余計なことを言ってしまった(笑)。

松村: 過去の記憶がよみがえったのではないでしょうか。実は吉田監督の1期目、76年9月19日の対広島戦で4連続ホームランがあったんです。1番中村勝広さん、2番掛布さん、3番ラインバックさん、そして4番田淵さんによる4連発。当時の甲子園のスタンドは、お祭り騒ぎだったそうです。

 

二宮: そんなこともありましたね。とはいえ、バックスクリーンへの3連発もすごい。阪神の選手たちは、当時どんな気持ちだったんでしょうね。

松村: 実は、「あの3連発は誰がすごかったんですか」と岡田さんに聞いたことがあるんです。そうしたら岡田さんは、「アレは、俺が打たんかったら2連発で終わってたんや。アレはそういうことや」とおっしゃっていましたね。

 

二宮: まっちゃん、ものまねそっくりです(笑)。つまり、「自分が打ったから3連発になった」ということですよね。

松村: 「そらそうよ。そう言うてるやろう」(笑)。

 

(詳しいインタビューは12月28日発売の『第三文明』2023年2月号をぜひご覧ください)

 

松村邦洋(まつむら・くにひろ)プロフィール>

1967年8月11日、山口県田布施町出身。山口県立田布施農業高等学校卒業後、九州産業大学に進学。在学中にものまね番組に出演し、アルバイト先のテレビ局で片岡鶴太郎に声を掛けられて芸能界入りを決意した。その後、大学を中退、上京して太田プロダクションに所属。ビートたけしをはじめとする従来にないものまねで、一躍お茶の間の人気者となる。現在はテレビのバラエティー番組やラジオで活躍する傍ら、豊富な野球や歴史の知識を生かしたYouTubeチャンネル「松村邦洋のタメにならないチャンネル」が人気。著書『松村邦洋 今度は「どうする家康」を語る』(プレジデント社)が好評発売中。


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