阿部恵(アルカス熊谷/愛媛県松山市出身)第3回「無駄にしなかった涙と汗」
埼玉県熊谷市で行われた第5回全国高等学校選抜女子セブンズラグビーフットボール大会でMVPを獲得し、名を上げた阿部恵は、高校卒業後は熊谷にキャンパスを置く立正大学に進む。立正大学女子ラグビー部に入部することで、同時にARUKAS QUEEN KUMAGAYA(アルカス熊谷)に所属することになる。
アルカス熊谷は日本代表選手を多く輩出してきた強豪。同じポジションのスクラムハーフ(SH)で憧れていた鈴木陽子も在籍しているチームだ。
「実際に太陽生命(ウィメンズセブンズシリーズ)で観たこともありました。代表レベルの選手がいっぱいいた。私もそういうチームでやりたいと思いました」
当然、厳しいポジション争いが待っている。それを望んでいたとはいえ、壁は厚く、高かった。阿部はこう振り返る。
「今になってよく言われるのが“大学1、2年生の時はチームにいなかった”と。自信もなかったし、周りに圧倒もされていた。私自身も消えていたと思います。練習では毎日のように泣いていました。上手くいかなくて落ち込んで泣き、コンタクト練習でふっと飛ばされては泣いていた」
一方、同期の長田いろは、黒木理帆はチームでも早くから出場機会を掴んでいた。2017年8月、アイルランドで開催されたラグビー女子W杯にはアルカス熊谷から同期の長田、黒木を含む8人が日本代表(サクラフィフティーン)に選出された。阿部と同じポジションには1学年上でアルカス熊谷の野田夢乃(現・東京山九フェニックス)、1学年下の東京農業大学第二高3年の津久井萌(現・横河武蔵野アルテミ・スターズ)が名を連ねていた。
当時の心境はいかばかりか。
「焦りはなかったです。逆に身近なところに日本代表選手がいていい刺激になっていました。まだ悔しいと思えるほどの位置にいなかったと思います」
自らのスキルを伸ばすため、野田とチーム練習より早い時間に集合し、パス練習に励んだ。
「陽子さんは全部がすごかった。アタックではステップを切って前に出る。ディフェンスでもタックル入って止めていた」と憧れる鈴木からはSHとしての狡猾さを学んだという。
「自分からなかなかアドバイスをもらいに行けなかったんですが、練習後に陽子さんから何度も声を掛けていただきました」
念願の初キャップ
鈴木も野田もポジションを争う存在である。ゲーム形式の練習となれば、バチバチにやり合わなければならない。特に鈴木からの練習中のプレッシャーに阿部は鍛えられたという。
「憧れの陽子さんからプレッシャーを掛けられたことで、他の試合に出た時も全然怖くないと思えるようになった」
試合中、SHは絶えず駆け引きを行う。鈴木、野田の代表クラスの選手たちと対峙する日々は、最高の鍛錬となったのだろう。
立正大学のグラウンドでラグビー部の堀越正巳監督に指導を受けたこともあった。「パス、ディフェンスの話をしていただきました」。日本代表26キャップの名SHからの“金言”も彼女の成長を助けたはずだ。
熊谷で流した涙と汗は決して無駄にならなかった。大学2年で試合での出場機会が増え始めると、3年時には太陽生命ウィメンズシリーズに全戦メンバー入り。レギュラーの座を掴んだのだった。
目標にしていたサクラフィフティーンからは大学3年生時の5月に声が掛かった。千葉県で行われた女子15人制合同合宿(女子15人制強化合宿・女子TIDキャンプ)に参加することになったのだ。吉報は試合帰りのバスの車内に届いた。当時のチームのHCから電話で「やったな」と伝えられ、初の代表合宿参加を知った。
ただ本人によれば合宿自体は「緊張し過ぎて何も残せず終わった」という。それでもレスリー・マッケンジーHCは翌月の合宿、翌々月のオーストラリア遠征にも阿部を招集した。「どこを評価していただけていたのかは聞けなかったのですが、コンスタントに呼んでもらえてありがたかった」と阿部。初めて参加した合宿時に6人いたSH候補が、オーストラリア遠征時には阿部を含め4人に絞られていた。
「他の5人と比べ、“自分が勝たないといけない部分はどこなんだろう”と考えていました。でも負けている気はしなかった」
熊谷で培ったスキルは代表でも通じる。そんな自信を得ていたのかもしれない。
そしてオーストラリア遠征のオーストラリア代表との第1戦で初キャップを刻んだのだった。初めて袖を通したサクラのジャージー。背番号は9を付けた。試合前の国歌斉唱は、“本当にここにいるんだ”と夢見心地だったという。試合は5-34で敗れたものの、2試合目もリザーブに入り、途中出場(3-46)。アルカス熊谷で自らの居場所を確立させつつあった阿部は、サクラフィフティーンでも頭角を現していくのだった。
(最終回につづく)
<阿部恵(あべ・めぐみ)プロフィール>
1998年4月28日、愛媛県松山市出身。小学4年時に北条ラグビースクールで競技を始める。北条北中学、石見智翠館高校、立正大学を経て、アルカス熊谷でプレー。19年7月のオーストラリア代表戦で日本代表初キャップを記録した。22年に行われたラグビー女子W杯ニュージーランド大会に出場、3試合スタメンでプレーした。イギリス・ラグビーワールド誌が選ぶ大会ベストフィフティーンに選出された。通算14キャップ(2023年1月現在)。身長147cm。
(文・写真/杉浦泰介)